戦後の1400形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 08:45 UTC 版)
「名古屋市交通局1400形電車」の記事における「戦後の1400形」の解説
戦後も1500形以降、路線の延長と老朽車の置き換えを目的に新車が増備され、1953年(昭和28年)以降に登場した1800形以降は1900形、2000形と名古屋市電が誇る和製PCCカーが続々と登場し、更にNSL車800形も登場したが、扱いよい1400形は乗務員の評判もよく、これらの新車が登場した後においても市電の主力車として走り続けた。中でも地下鉄東山線開業前後の栄町線の輸送力が逼迫していたことから、3扉で大量乗降に適した1400形は連接車などと併せて栄町線を担当する池下車庫(1958年(昭和33年)12月から稲葉地車庫)、浄心車庫、安田車庫に集中配置され、押し寄せる乗客をさばいた。しかし、地下鉄東山線の延伸に伴って相対的に市電の役割が低下すると1400形は各車庫に転出、市内各地で見られるようになった。 その後の1400形は、1966年(昭和41年)の港車庫担当系統のワンマン化の際に前面方向幕の右横にワンマン表示灯を取り付けたり、車内にワンマンカー関連機器を取り付ける改造を実施した。このタイプのワンマンカーは後に登場した標準型のものと異なっていたことから、通称「港型ワンマン」とも呼ばれていた。また、同時期に下之一色分所に配属された1444,1445の2両は下之一色線内の単線続行運転に対応できるよう、正面方向幕左側に後続車確認標識灯を取り付けた。こうして下之一色線にも入線したことから、1400形は名古屋市電のボギー車の中では唯一全線で運用された車両となった。1960年代後半からワンマン改造が全車に施工されることになるが、このときのワンマン改造ではワンマン表示灯を前面窓下に設け、ナンバーの文字を小型化して系統板の下に移設したほか、車内機器も小型化された。なお、港型ワンマン改造車についても1968年以降から標準型への再改造が実施されている。この他、1962年(昭和37年)ごろから1401-1430のうち戦災復旧車を除く車両の窓枠のアルミサッシ化を実施したほか、時期は不明であるが1410,1417,1423,1454の4両の前面方向幕右横にルーバーを取り付け、車内の換気能力の向上を図った。 1400形は市電の末期に至るまで全車庫を転属して残存全路線を走り続けた。初めての廃車は1971年(昭和46年)4月の浄心延長線秩父通 - 下江川線八熊通間、高岳線東新町 - 清水口延長線黒川間、八事線安田車庫前 - 八事間廃止に伴うもので、1464-1475の12両が廃車された。同年11月の築港線熱田駅前 - 築地線支線西稲永間廃止の際には1408,1457-1463の8両が廃車されたが、1972年(昭和47年)2月末の浄心車庫・稲葉地車庫閉所時による車両の転配属の際には和製PCCカー各形式が大量廃車されたにもかかわらず、1400形は1両も廃車されることなく残存の沢上、高辻、安田の3車庫に集結し、1974年(昭和49年)の全廃時まで主役の座を守り続けた。他の事業者への譲渡車両としては、1971年4月に廃車された車両のうち1465-1471,1473,1474の9両が豊橋鉄道へ譲渡された。同車はモ3100形となってそのうちの7両が冷房改造を実施され、2006年(平成18年)まで主力車両として活躍していた。その後、モ3102のみがマルーン一色の塗装となり、車体イルミネーション用の配線が追加され、イベント専用車兼予備車として残された。その後も名古屋市電生まれ最後の営業車両としての活躍が続いていたが、2011年2月に運用から離脱し休車となったが、2017年に廃車が決定し、2018年(平成30年)2月下旬に赤岩口車庫より搬出(撤去処分)された。
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