戦後の1形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 10:05 UTC 版)
「阪神国道電軌1形電車」の記事における「戦後の1形」の解説
併用軌道線の他形式に比べて出力の劣る1形は、戦後は運用の中心を国道線から甲子園線や単架線化された北大阪線にシフトした。この間、塗色を71形以降と同じベージュとマルーンのツートンカラーに変更、社章は側面左側のドア横に、ナンバーは正面右下と側面右側のドア横に記入された。1947年3月に浜田車庫内で30が事故焼失し、17も半焼した。17は側面下半分がノーリベットになって正面のウインドヘッダーが平らになった形で復旧したが、全焼した30は1953年に廃車された。 1949年には神戸方のトロリーポールをYゲルに変更、大阪方のポールは予備として残されたが、その後撤去された。保護棒も復旧されたほか、1950年ごろには尾灯を正面左窓上に移設した。1958年秋には22が新設軌道線の881形の一部車両同様、阪神パークで開催された科学博のPRのために、車体をイエロークリーム、屋根をグレーに塗装された。1960年代後半には使わなくなった行先方向幕を埋めたほか、27が車体更新を受けて17同様側面下半分がノーリベットとなった。 1954年12月15日の摂津車輌での火災で26が全焼、翌1955年に廃車となった。続いて1957年には4両を廃車、その後は併用軌道線の需要減に伴う減便に対して、余剰となった1形を廃車することで対応することとなり、1962年には4両を、1967年には3両、1970年と1971年には各2両、1972年には5両が廃車され、残った8両は1974年の国道線西灘 - 上甲子園間廃止時に全車廃車された。廃車後、浜田車庫内の牽引車として残った車両もあった。 併用軌道線の全線廃止後、車体更新を受けた27が甲子園阪神パークに保存された。パーク保存の際には車体表記を1に改めている。しかし、園内をリニューアルした1991年ごろに撤去されたため、現存しない。
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