戦後のDC-3
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:18 UTC 版)
「ダグラス DC-3」の記事における「戦後のDC-3」の解説
第二次世界大戦で生き残ったC-47の多くは、終戦後民間向けに放出された。それらは旅客機や貨物機などの民間輸送機としての設備や装備を加える改造を施され、新たにDC-3Cへと生まれ変わった。 なお、第二次世界大戦後の1949年にエンジン出力を上げた「スーパーDC-3」が製造されたが、払い下げのDC-3Cが多数出回っていたことや、戦後の航空需要の急速な伸びと太平洋及び大西洋横断飛行を含む長距離国際線の増加を受けて、新規需要の中心は大型4発機である後継機のDC-4や、それに与圧キャビンを与えたDC-6に移ったため、わずか4機が製造されたのみで生産を終了した。 戦後すぐさま、ほぼ新造機を含めた数千機が放出された元C-47のDC-3Cは、アメリカの大手航空会社からローカル航空会社まで、そして世界各国のフラッグキャリアから新興航空会社までに安く買い取られ、世界中にあまねく行き渡った。戦災からの復興の過程で急速に伸びた世界の航空輸送ビジネスは、この並外れて信頼性が高く輸送能力と経済性に優れた機体によって、1940年代 - 1950年代に著しい発展を遂げた。 日本においては、日本航空が、設立直後の招待飛行の際にフィリピン航空からのウエットリース機を運航したが、本格運行の開始後はDC-4やDC-6などの大型機に移行していった。しかしその後、複数の航空会社がDC-3(後述のC-47払下機を含む)を導入した。まず1955年(昭和30年)11月に日ペリ航空に導入し、これを皮切りに極東航空、北日本航空、藤田航空、伊藤忠航空、長崎航空などが次々とDC-3を購入し、ローカル線を中心とした定期路線に投入した。DC-3はさらに運輸省航空局にも導入された。
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