戦後のV型8気筒化競争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:08 UTC 版)
「V型8気筒」の記事における「戦後のV型8気筒化競争」の解説
1947年、中堅の中級車メーカーであるスチュードベイカーがV型8気筒を新たに開発して搭載、GMも1948年、中級車のオールズモビル1949年型に新型のV型8気筒を搭載した。高級車ブランドの代表であるキャデラックとリンカーンも1948年~1949年までに新型V型8気筒への転換を完了した。 また、「スーパーエイト」と称する、回転のスムーズな直列8気筒を長年看板エンジンとして用いてきた名門高級車メーカーのパッカードも、1951年までにV型8気筒への転換を余儀なくされた。 1951年には、戦前以来のサイドバルブ直列8気筒搭載のまま出遅れていたクライスラーが、「完全燃焼」のフレーズのもと、高効率な半球形燃焼室(ヘミスフェリカル・ヘッド、通常は単に「ヘミ」と略される)を持つ新しいOHV・V型8気筒「ファイアパワー」を発表した。この斬新なエンジンは5.4リットル、180hpという大出力で、クライスラーは衰退するパッカードに代わってアメリカの高級車業界に打って出たのだった。1955年以降はバージル・エクスナーの手になる華麗なボディデザインとパワフルなエンジンの組み合わせで、キャデラックやリンカーンと張り合うことになる。 そしてフォードも1951年 (1952型式年度) のYブロック・リンカーンV8以降、戦前の設計になる第一世代のサイドバルブV型8気筒に代わり、より効率の良いOHV型の戦後型V型8気筒へ世代交代した。この時期までビュイックやポンティアックなどに残っていた直列8気筒も、1950年代中期までにV型8気筒にその地位を譲って消滅した。
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