戦後の1651形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/28 07:18 UTC 版)
「大阪市交通局1651形電車」の記事における「戦後の1651形」の解説
1651形は改番前後に鶴町車庫から都島車庫に転属して、走る路線も大阪駅周辺のいわゆる「キタ」や堺筋、四ツ橋筋などの大阪市電の南北の幹線に変わった。その後、1956年には完全2人乗務化により、使わなくなった後部扉を閉鎖して、側面窓配置もD5D6となった。 大阪市電廃止の過程では、4両の少数派であったことから1965年に全車が1601形10両とともに広島電鉄に譲渡され、同社の750形761 - 764となった。その際、1651形が装着していた大阪市電型台車を1746 - 1749の4両が履いていたブリル77Eに台車を換装の上で広電に譲渡された。
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