京阪電気鉄道置石脱線事故とは? わかりやすく解説

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京阪電気鉄道置石脱線事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)

日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「京阪電気鉄道置石脱線事故」の解説

1980年昭和55年2月20日2059分【列車脱線事故大阪府枚方市京阪電鉄京阪本線枚方市 - 御殿山間の磯島茶屋町付近で、枚方市立第一中学校在学で同市内中学生5人組グループ悪戯線路脇のケーブルトラフ(コンクリート製U字形溝)の線路上に置いたため、同地通過した淀屋橋三条行き急行電車5000系7両編成乗客400名)の先頭3両が脱線先頭車輛が民家突っ込み、2両目横転。幸い死者は出なかったが、負傷者104名の大事故になった。 この事故により先頭車両5554号車廃車となり、同じ番号車両がその年12月代替として新製された。 中学生グループおよび保護者に対して京阪電鉄損害賠償求め、5人のうち4人は1人あたり840万円示談金支払うことで示談成立した。しかし、残り1人とは示談成立せず、1982年2月京阪側が損害賠償求め裁判起こす。この親権者は「グループには入っていたが、実行行為関与していなかった」と主張し大阪高等裁判所その主張認めた。しかし、1987年最高裁判所謀議入った者も賠償責任発生するとする旨の判決出し大阪高裁差し戻した同年差し戻し審では、他の元中学生4名と同じく840万円支払うとの和解成立した京阪は約4200万円賠償金受け取ることになったが、これは実際損害額の約10分の1である。残る9割の損害保険対処した。 この経験から、対策として京阪筆頭に、鉄道事業者各社においては沿線から線路侵入させないようなフェンス有刺鉄線きわめて積極的に設置した。さらに、先頭車両への排障器の設置と、先頭台車への補助的な排障器具の設置進めた

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京阪電気鉄道置石脱線事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 19:40 UTC 版)

日本の鉄道に関する事件」の記事における「京阪電気鉄道置石脱線事故」の解説

1980年昭和55年2月20日2059京阪電鉄京阪本線枚方市駅 - 御殿山駅間で、中学校2年生5人組グループ悪戯側溝U字溝用のコンクリート線路に置き、ここを通りかかった淀屋橋駅三条駅行の急行電車5000系7両編成乗客400名)の先頭3両が脱線先頭車輛が民家突っ込み、2両目横転死者は出なかったが負傷者104名の大事故になった詳細は「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#京阪電気鉄道置石脱線事故」を参照

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