京阪電気鉄道置石脱線事故
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「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「京阪電気鉄道置石脱線事故」の解説
1980年(昭和55年)2月20日20時59分【列車脱線事故】 大阪府枚方市の京阪電鉄京阪本線の枚方市 - 御殿山間の磯島茶屋町付近で、枚方市立第一中学校に在学で同市内の中学生5人組のグループが悪戯で線路脇のケーブルトラフ(コンクリート製U字形溝)の蓋を線路上に置いたため、同地を通過した淀屋橋発三条行きの急行電車(5000系7両編成・乗客約400名)の先頭3両が脱線、先頭車輛が民家に突っ込み、2両目は横転。幸い死者は出なかったが、負傷者104名の大事故になった。 この事故により先頭車両5554号車は廃車となり、同じ番号の車両がその年12月に代替として新製された。 中学生グループおよび保護者に対して京阪電鉄は損害賠償を求め、5人のうち4人は1人あたり840万円の示談金を支払うことで示談が成立した。しかし、残りの1人とは示談が成立せず、1982年2月に京阪側が損害賠償を求める裁判を起こす。この親権者は「グループには入っていたが、実行行為に関与していなかった」と主張し、大阪高等裁判所がその主張を認めた。しかし、1987年に最高裁判所は謀議に入った者も賠償責任が発生するとする旨の判決を出し、大阪高裁に差し戻した。同年の差し戻し審では、他の元中学生4名と同じく840万円を支払うとの和解が成立した。京阪は約4200万円の賠償金を受け取ることになったが、これは実際の損害額の約10分の1である。残る9割の損害は保険で対処した。 この経験から、対策として京阪を筆頭に、鉄道事業者各社においては、沿線から線路に侵入させないようなフェンスや有刺鉄線をきわめて積極的に設置した。さらに、先頭車両への排障器の設置と、先頭台車への補助的な排障器具の設置を進めた。
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京阪電気鉄道置石脱線事故
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「日本の鉄道に関する事件」の記事における「京阪電気鉄道置石脱線事故」の解説
1980年(昭和55年)2月20日20時59分 京阪電鉄京阪本線の枚方市駅 - 御殿山駅間で、中学校2年生5人組のグループが悪戯で側溝のU字溝用のコンクリート蓋を線路に置き、ここを通りかかった淀屋橋駅発三条駅行の急行電車(5000系7両編成・乗客約400名)の先頭3両が脱線、先頭車輛が民家に突っ込み、2両目は横転。死者は出なかったが負傷者104名の大事故になった。 詳細は「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#京阪電気鉄道置石脱線事故」を参照
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