京阪電気鉄道時代とは? わかりやすく解説

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(初代)京阪電気鉄道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:32 UTC 版)

京阪京津線」の記事における「(初代)京阪電気鉄道時代」の解説

1925年大正14年2月1日京津電気軌道株式会社京阪電気鉄道株式会社合併し同社京津線となる。 5月5日札ノ辻駅 - 浜大津駅現在のびわこ浜大津駅)間が延伸開業し全線開通浜大津駅新設1926年大正15年9月1日:旧京津電気軌道が行っていた配電事業京都電燈譲渡1927年昭和2年9月21日御陵駅新築移転1928年昭和3年7月1日応天門駅神宮道駅(後の平安神宮前駅1944年廃止)に、広道駅岡崎道駅1931年2月20日廃止)に、それぞれ改称11月20日自動閉塞信号機使用開始1930年昭和5年11月9日大谷駅労働組合員による電車脅迫脱線事件起きる(日本の鉄道に関する事件参照)。 1931年昭和6年2月9日線路移設工事のため、蹴上駅の仮ホーム使用開始2月20日 専用軌道上の古川町駅 - 蹴上駅間を三条通上の併用軌道移設したことにより営業キロが86m短縮神宮道駅三条通上の併用軌道移設岡崎道駅廃止3月25日蹴上駅の新ホーム竣工3月28日古川町駅を旧位置移設7月23日四宮駅 - 追分駅間の京都府京都市滋賀県大津市との境界付近に緑ヶ丘運動場臨時駅新設1932年昭和7年2月16日京津国道国道1号)の改良工事に伴い大谷 - 追分併用軌道専用軌道工事竣工4月7日大谷駅新築移転1933年昭和8年2月1日 日本初複巻電動機回生制動50型営業運転開始5月11日蹴上駅 - 日ノ岡駅間の併用軌道専用軌道移設6月15日三条大橋駅 - 浜大津駅間の所要時間最速27分に短縮1934年昭和9年3月19日日本初連接車60型3編成竣工し、「びわこ号」と命名4月2日三条駅三条大橋経由京阪本線京津線直通運転開始60型を使用し天満橋駅 - 浜大津駅間で特急びわこ号」の運転が開始され、同区間最速72分で結ばれる4月17日山科駅前駅待避線完成し三条大橋駅 - 浜大津駅間の急行運転が開始され三条大橋駅 - 浜大津駅間の所要時間最速21分に短縮1935年昭和10年6月29日鴨川水害に伴い三条大橋破損蹴上駅 - 日ノ岡駅間の土砂崩れ三条大橋駅 - 日ノ岡駅間が不通7月2日より運転再開1936年昭和11年6月25日天文台下駅開業10月10日軌道鉄道線路名が改正され大津線属す京津線となる。 1937年昭和12年8月20日大津線旅客運賃改正実施し旅客運賃値下げ1939年昭和14年6月20日京津線石山坂本線との連絡線完成1940年昭和15年戦時体制下の下、紀元2600年相まって京津線開業30周年祝意を表す最小限企画実施2月頃:京阪線京津線の「びわこ号」による直通運転停止される1941年昭和16年2月1日神宮道駅平安神宮前駅改称1942年昭和17年):緑ヶ丘運動場臨時駅廃止1943年昭和18年4月15日天文台下駅九条山駅改称

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(3代目)京阪電気鉄道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:32 UTC 版)

京阪京津線」の記事における「(3代目)京阪電気鉄道時代」の解説

2016年平成28年4月1日2代目)京阪電気鉄道株式会社持株会社移行に伴い京阪ホールディングス株式会社商号変更同社鉄軌道事業を(3代目)京阪電気鉄道株式会社京阪電気鉄道分割準備株式会社から商号変更)が継承2017年平成29年4月1日 石山坂本線を含む大津線系統全線で、JR西日本発行するICカードICOCA」を媒体とした「ICOCA定期券」を発売2018年平成30年1月31日スルッとKANSAI対応カード利用終了3月17日浜大津駅びわ湖浜大津駅改称9月4日台風21号接近に伴い計画運休」を初め実施同月30日にも 台風24号接近計画運休実施2019年平成31年2月大津線すべての先頭車ドライブレコーダー取り付け完了

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京阪電気鉄道時代(戦前)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 21:30 UTC 版)

琵琶湖鉄道汽船100形電車」の記事における「京阪電気鉄道時代(戦前)」の解説

京阪電気鉄道との合併後、しばらくはそのまま形態での運用続いた。 しかし、乗客少な閑散線区中形ボギー車12両の配置いかにも過大であり、そのため京阪線101 - 108の8両を移管することが計画された。京阪技術陣は「支線には勿体ないほどの優秀な車両」と評していたという。 1929年昭和4年9月にまず101 - 106の6両が守口工場回送され、大阪市内には併用軌道区間があったことから軌道法規定従い床下両端部にロックフェンダー式排障器装着屋根上のパンタグラフ撤去して前後トロリー・ポール設置屋根上の前照灯も撤去された。こうして1930年1月より京阪線での運用開始されたが、既存100型形式重複することから翌1930年昭和5年2月にまず101 - 106について800801 - 806へ改形式改番された。これらは天満橋 - 守口(現・守口市駅)間の区間運用主体に、全線運用されている。1931年昭和6年7月19日801-802急行伏見稲荷駅南側京都市電稲荷線との平面交差衝突事故起こし京都市電全損京都市への代物弁済として石山坂本線80型 (初代)89号譲られている。 京阪線転籍した6両は、当初塗装焦げ茶のままであったが、これは検査時などに京阪線標準濃緑色塗り替えられた。また、1932年昭和7年10月15日集電装置切り替えの際には、経緯不明であるが、従来パンタグラフ設置位置とは反対側の位置東洋電機製造パンタグラフ搭載連結運転を実施するためにマルコ自動連結器搭載され排障器連結器下に装着された。 一方石山坂本線となった琵琶湖鉄道汽船線については、三井寺以南以北区間運用一元化することとなり、架線トロリー・ポール集電対応に張り替え三井寺以南運行されていた路面電車スタイル車両坂本まで運行するよう改めたその際、本形式残存車6両についても京阪線用と同じくパンタグラフ撤去してトロリー・ポール搭載改められた。もっとも、こちらは前照灯従来通り屋根上に搭載し連結器装着せずに大型排障器搭載しており、京阪線同型車とは異なった外観となっている。 なお、これら6両についてもこの集電装置変更前後して1931年5月800807 - 812へ改形式改番されている。 その後1935年3月811・812が守口工場送られ801 - 806と同一仕様改造され807808改番入れ替わり従来807808811・812へ改番された。 同じ1935年2月から3月にかけて、801 - 806が片運転台化されており、京阪線転入した807808についても同様に片運転台化されている。さらに1939年10月より京阪線所属車について座席の全ロングシート化工事開始され1940年7月までに801 - 808改造完了している。 一方石山坂本線残存していた809 - 812についても、戦時中輸送事情悪化でより大型車両京阪線投入することになり、京阪線所属100型4両と交換する形で1940年2月京阪線移管され、パンタグラフ集電への再改造片運転台化、ロングシート化、それに柴田自動連結器搭載が行われた上で同年4月より京阪線での運用開始している。

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京阪電気鉄道時代(戦後)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 21:30 UTC 版)

琵琶湖鉄道汽船100形電車」の記事における「京阪電気鉄道時代(戦後)」の解説

その後は、長らく京阪線普通列車中心に基本的に2両編成両運転台両端ジャンパ線を設置する808組み込んだ編成限りラッシュ時3両編成運用され1959年昭和34年)には810 - 812の運転台側にジャンパ線を追加ラッシュ時複数編成3両編成組成可能なように変更された。 その間ラッシュ時対策として天井への扇風機設置実施され、さらに808以降については室内灯の蛍光灯化も実施された。だが、京阪線では淀屋橋地下線開業に伴い車両の不燃化対策貫通路整備求められたことから、非貫通構造でしかも木造の本形式について地下線開業した1963年昭和38年)に京阪線での運用終了以後形式3両編成組んで主に交野線専用となった最終的に製造から40年迫り老朽化進んだことから、1966年昭和41年)から1967年昭和42年)にかけて全車廃車となった。 本形式廃車後台車・主電動機はじめとする機器石山坂本線用として新造された350型に流用され、いわば里帰り果たしたとなっている。また、後年になって同じ800という車両形式が、石山坂本線こそ回送試運転での入線のみで営業運転はしないものの、やはり大津線用として製造されセミクロスシート車(800系)に継承されている。

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