京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後の意味・解説 

京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 14:38 UTC 版)

三条駅 (京都府)」の記事における「京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後」の解説

従来京阪線京津線1枚乗車券利用できたが、東西線開業後は別々に購入することとなり、それぞれの駅の運賃表に、別々に購入する旨の記載がある。ただし、2002年3月1日から京津線にもスルッとKANSAIエリア拡大され、この時点で共通カードの他、「スルッとKANSAI2Day・3Dayチケット」の利用可能になった。さらに、2007年4月1日PiTaPa導入により、乗車券都度購入することなく利用することが可能となっている。 京阪線大阪方面からの当駅始発終点列車少ないながら設定されている。また、当駅始発出町柳行き普通1本設定されている(出町柳発当駅止まりの列車設定されていない)。ただし、鴨東線開業前の当駅が終点だった時代名残で、祇園四条寄りにも両渡り線があり、回送列車は引上線経由せずにこの渡り線使って折り返すこともある。 2000年ダイヤ改正までは、大阪方面行き原則として3番線特急京阪間通しの普通(淀屋橋行き)、4番線急行宇治線直通普通(宇治行き)と使い分けていたが、以後3番線本線4番線待避線として利用されている。 事故などダイヤ乱れた場合は、一部列車の運転を当駅で打ち切りそのまま当駅始発として折り返すことで後続列車との運用入れ換えダイヤ回復図っている。 京津三条駅跡地は、路線廃止後しばらく駅舎放置されていたが、2003年複合商業施設「KYOUEN」が開業した本線から京津線(のちに地下鉄東西線)への乗り換え案内は、1980年代頃までは「大津石山坂本方面」、1990年頃から京津三条駅廃止までは「山科大津びわ湖方面」としていたが、京津線の駅が廃止され1997年から2003年の間は「大津びわ湖方面と、地下鉄東西線」としていた(山科東西線の駅が設置された)。なお、その後は「地下鉄東西線と、京津線びわ湖方面」としている。また一時期京阪特急での自動放送ではこれに続いて地下鉄東西線醍醐(現在は六地蔵方面との誤乗を防ぐため、浜大津方面列車乗車するよう強調した案内なされていた。

※この「京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後」の解説は、「三条駅 (京都府)」の解説の一部です。
「京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後」を含む「三条駅 (京都府)」の記事については、「三条駅 (京都府)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後」の関連用語

京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの三条駅 (京都府) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS