亭子院酒合戦
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藤原明衡撰『本朝文粋』収録の収録の紀長谷雄「亭子院賜飲記」によれば、延喜11年(911年)6月15日、宇多上皇が亭子院の水閣を開いた時、酒豪を選んで酒を賜った。参議藤原仲平、兵部大輔源嗣、左近衛少将藤原兼茂、藤原俊蔭、出羽守藤原経邦、兵部少輔良峯遠視、右兵衛佐藤原伊衡、散位平希世の8名が、勅命により競った。 20盃を限り、杯に墨を点して量を定め、廻し飲むと、6、7巡で満座が酩酊し、平希世は門外に偃臥し、藤原仲平は殿上に嘔吐し、他はいずれも泥酔し、藤原経邦は始め意気が揚がっていたが、遂に吐瀉した。ただ藤原伊衡だけが乱れなかったが、10杯で止められ、賞として駿馬を賜った。
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