亭子院に関する記録
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昌泰2年(899年)、宇多法皇が、東七条宮を後院とすべく区画内に新たな建物を加えようとした際、古井戸から不動明王像がみつかった。これは、当該の区画が古くは空海(弘法大師)が嵯峨天皇より賜った東寺の鬼門にあたり、空海自身が発見した霊力ある石に不動明王像を彫り付け、人目に触れぬよう埋めたものだと判り、法皇は勅令でその井戸を封じたという。 菅原道真の死去した延喜3年(903年)8月に、「皇太夫人藤原温子、東七条宮に遷御あらせらる」という記録がある。 承平元年7月19日(931年9月3日)の宇多法皇崩御後、後院として使われることはなく寺院となり、跡地には不動堂明王院がある。
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