京阪電鉄和歌山支店の継承
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「合同電気」の記事における「京阪電鉄和歌山支店の継承」の解説
関西の私鉄である京阪電気鉄道株式会社は、1920年代になって沿線の大阪府や京都府から外れて滋賀県や和歌山県にも進出していた。そのうち和歌山県では1922年7月に和歌山水力電気(1905年設立)を合併して和歌山支店を設置し、和歌山市およびその周辺で電気供給事業や電気軌道事業を開始。さらに1926年3月には日高川水力電気も合併し、御坊・田辺地区を供給区域に追加した。 沿線以外への進出以外にも鉄道輸送力の増強、傍系会社新京阪鉄道の設立と積極経営を続けていた京阪電気鉄道であったが、積極経営により負債が新京阪鉄道とあわせて1億円を超えたため、昭和恐慌が発生すると財政面で行き詰ってしまう。このため同社は自主的な財政整理と新京阪鉄道の債務整理のための処置をとらざるを得なくなり、和歌山支店の売却に踏み切ることとなった。譲渡先は社長が同じ三重合同電気(合同電気)で、東邦電力四日市・奈良支店の譲渡と同様1930年1月に契約が締結された。 1930年1月5日付で京阪電気鉄道と三重合同電気との間に締結された事業譲渡契約の主な内容は以下の通りである。 京阪電気鉄道は三重合同電気に対し、和歌山支店管内の事業(電気供給事業・軌道事業ほか)およびこれに関する資産(3650万円)を譲渡する。 三重合同電気は8分利付き社債総額2200万円を発行し、京阪電気鉄道に交付する。 三重合同電気は支払手形1450万円を発行し、京阪電気鉄道に交付する。 上記契約を承認する株主総会は、30日にまず京阪電気鉄道側で開催されたが、和歌山方面の株主から猛烈な反対運動が起きたため紛糾、決選投票までもつれてようやく原案通り譲渡と決定された。三重合同電気側の株主総会での承認は社名変更・東邦電力からの事業移管決議と同様に翌31日付である。譲渡手続きは準備の都合上東邦電力分より遅れ、1930年5月10日に完了した。 東邦電力が譲渡の対価として株式を受け取ったのに対し、京阪電気鉄道が受け取ったのは社債および支払手形であったが、これは負債整理に充当するという京阪社内の事情からである。ただし、東邦電力が合同電気より交付された株式72万株のうち10万株が同年9月に京阪電気鉄道へ譲渡された。なお和歌山支店の毎半期300万円近い収入を失った結果、京阪電気鉄道はその後も続いた不況でさらなる経営不振に見舞われ、1932年(昭和7年)上期に無配へと転落した。京阪社長の太田は後年、和歌山支店の合同電気への売却について、多額の借金を抱えて当時としてはやむをえなかったが、売却せずに切り抜けていたら無配にはならなかったはずなので失敗であった、と回想している。
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