京阪電鉄蒲生信号所列車衝突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「京阪電鉄蒲生信号所列車衝突事故」の解説
1966年(昭和41年)8月3日 大阪市城東区の京阪電気鉄道京阪本線蒲生信号所(現在は廃止)構内の複々線の緩行線(B線、外側線)と急行線(A線、内側線)との合流ポイント付近で、緩行線から急行線側に進行中の下り普通列車の側面に、急行線を併走中の下り急行が信号冒進して衝突。普通列車の先頭車両はその衝撃で上り線側に飛び出し、信号所の建物に突っ込み、上り線路を支障した。乗客など51名が重軽傷を負った。現場には上り区間急行列車が接近していたが、信号所の助役が負傷しながらも下り方向へ走り上り列車に対して列車防護を行った(停止信号を出した)。区間急行の運転士はこれに気付き非常ブレーキを作動させ、現場手前で停車し、二次衝突を避けることができた。原因は急行運転士の過労とされた。この事故を契機に京阪は自動列車停止装置の導入に踏み切った。
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