京阪電気鉄道との合併
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「日高川水力電気」の記事における「京阪電気鉄道との合併」の解説
1920年代に入ると、和歌山県下の電力業界では事業規模の拡大を県内資本が支えきれなくなったことで県外資本の進出が活発化し、1922年に和歌山水力電気と熊野電気が大阪府に本社を置く京阪電気鉄道および宇治川電気に相次いで合併された。このうち京阪電気鉄道では、和歌山水力電気を合併するころから日高川水力電気についても合併交渉を持ったが、交渉成立に至らなかった。その後も京阪では、自社発電所が日高川水力電気の発電所の下流側にあり渇水期などにその影響を受ける恐れがあること、将来的に紀勢本線が伸びる地域が事業地であり発展の余地があることを理由に日高川水力電気の合併を目指す。日高川水力電気側でも有力需要家から京阪電気鉄道への合併を要望する意見が出たことから1925年(大正14年)になると合併交渉が進展、同年9月26日合併仮契約締結に至った。 合併条件は、存続会社の京阪電気鉄道は合併に伴い416万円の増資をなし、新株を解散する日高川水力電気の株主に対し持株1株につき0.8株の割合で交付する、日高川水力電気は合併期日までに未払込資本金の払込みを済ませる、というものである。合併手続きは1925年10月29日両社の株主総会にて合併承認、翌1926年(大正15年)2月25日主務官庁からの合併認可取得と進められ、契約期日通り同年3月1日付で合併が実施されて日高川水力電気に属する権利義務一切はすべて京阪電気鉄道に引き継がれた。4月29日には京阪電気鉄道で合併報告総会も開かれて合併手続きが完了、同日をもって日高川水力電気は解散した。 最後の決算にあたる1925年12月末時点で、日高川水力電気は水力発電所4か所(柳瀬・甲斐ノ川・神谷・笠木、総出力3,227キロワット)と火力発電所2か所(御坊・御坊第二火力、総出力1,570キロワット)を運転し、和歌山県下47町村を供給区域として電灯5万6371灯・小口電力1075馬力・大口電力2,205キロワットを供給していた。これらの事業は京阪電気鉄道では和歌山支店(元は旧和歌山水力電気区域を管轄)に編入される。1929年(昭和4年)3月には五味発電所(出力1,400キロワット、下山路村大字小家所在)が竣工したが、これは日高川水力電気時代から工事が進められていた地点にあたる。ただし翌1930年(昭和5年)に京阪電気鉄道では和歌山支店管内の事業を三重県の電力会社合同電気に譲渡したため、御坊・田辺地区進出は短期間で終わった。
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