京阪電気鉄道の阪和間参入とは? わかりやすく解説

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京阪電気鉄道の阪和間参入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 22:52 UTC 版)

阪和電気鉄道」の記事における「京阪電気鉄道の阪和間参入」の解説

京阪電気鉄道大正 - 昭和初期にかけ、岡崎邦輔第3代)・太田光凞(第4代)と2人社長の下で、有力政党立憲政友会との関係をバック大幅な拡張政策を採り、近畿一円一大電力コンツェルン形成した。その一環として和歌山進出目論み、1922年には和歌山県内の有力電力会社であった和歌山水力電気買収して自社和歌山支店とした。そしてこの延長線上で従来南海鉄道南海本線のみが通じていた大阪 - 和歌山間でこれに平行する新し高速電気鉄道の建設計画資本参加したのである。 この電鉄路線計画は、元々和歌山以南紀伊半島沿岸自社航路勢力範囲とし、来るべき将来における国鉄紀勢線全通打撃を受ける大阪商船南海鉄道だけでは地元将来的潜在貨物輸送需要賄いきれない判断した泉州地域の綿業資本家大阪方面における安定的な電力消費先を欲していた大手電力会社宇治川電気(後の関西電力)、それに和歌山有力者達が合同し立案したものであり、最初出願1919年行われている。 京阪正式な参加は、建設計画本格的に具体化し会社設立され1926年4月24日以後のことであった。もっとも、1920年原内閣による南海鉄道国有化失敗後、この案件仲介役として介入していた京阪阪和電鉄出願グループ緊密な関係にあった。そのため、阪和電気鉄道線の免許取得当たって政治的な工作をこのグループから依頼されており、単純な株式引き受けに留まらない、複雑な経緯経た末の資本参加であったことが伺われる。 京阪起業参加に際しては、同社による和歌山方面電力供給約束されたほか、同社技術陣の派遣行われている。他の設立メンバーには鉄道経営経験者がほぼ皆無であったことから、実際鉄道建設京阪系のスタッフにその多く委ねられることとなった

※この「京阪電気鉄道の阪和間参入」の解説は、「阪和電気鉄道」の解説の一部です。
「京阪電気鉄道の阪和間参入」を含む「阪和電気鉄道」の記事については、「阪和電気鉄道」の概要を参照ください。

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