京阪電気鉄道との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:12 UTC 版)
「近畿日本鉄道」の記事における「京阪電気鉄道との関係」の解説
近鉄京都線は奈良電気鉄道(以下 奈良電)を合併したことから始まるが、奈良電は京阪電気鉄道(以下 京阪)と当時の大阪電気軌道の両者がほぼ同額を出資する形で設立された。1953年9月に近畿地方を襲った台風13号による被害で、奈良電は経営悪化に陥っていた。その際、京阪と合併するという案が出されている。しかし、これを京阪側は淀屋橋延長線(淀屋橋駅 - 天満橋駅)の建設工事による巨額投資を行ったため不可能だとして拒否していた。その時期を見込んで京阪寄りだった奈良電の経営権を取得し、京都への進出を図った近鉄だったが、京阪側はこの事態に反発した。しかし、近鉄は株式の取得を進め、関西電力会長だった太田垣士郎の斡旋を経て、1963年10月1日に奈良電は近鉄に合併された。当時の近鉄社長である佐伯勇は、京阪の社長だった村岡四郎が英断を下して「持株も譲っていい、そのかわり奈良電を一流にたて直しなはれ」という言葉をかけられたと述べている。なお、大久保駅など、近鉄京都線沿線(新田辺駅以北)のバス路線が京阪系列の京阪バス・京都京阪バス等により運行されているのは、近鉄への株式譲渡の際、京都 - 奈良間のバス事業免許は京阪側に引き渡すという条件によるものである。
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