びわこ‐そすい〔ビハコ‐〕【琵琶湖疏水】
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水 (京都府)
琵琶湖疏水
| ![]() | 疏水の概要 | ||||||||||||||
■疏水の所在 滋賀県大津市から京都市の東部に位置する山科区、左京区、東山区、伏見区(宇治川)にまたがる地域。 ■所在地域の概要 京都府の南部に位置する政令指定都市の京都市。平安京から1200年間都が置かれた歴史ある古都。 なお、施設の一部は琵琶湖に面した滋賀県大津市西大津に存在しており、琵琶湖疏水は7世紀に造営された大津京と平安京を結ぶ水の道とも呼ばれている。 ■疏水の概要・特徴 琵琶湖疏水は、滋賀県大津市三保崎に源を発し、殖産工業と市民の水道を供給するために、工学士 田辺朔郎の指揮の下に明治18年6月3日着手し、明治23年3月30日に完成した延長8.7kmの疏水である。 その後、鴨川に沿って明治23年6月に着手し、明治27年9月2日に8.7kmの鴨川運河が完成し、琵琶湖疏水から鴨川運河を通り伏見までの全長20kmの舟運ルートが完成し、宇治川及び淀川と結ばれ、また、水力発電所の完成によって伏見の街は発展した。 | ||||||||||||||||
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琵琶湖疏水
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:06 UTC 版)
琵琶湖疏水(びわこ そすい)は、琵琶湖の湖水を西隣の京都市へ流すため、明治時代に作られた水路(疏水)である。国の史跡に指定されている。また、土木学会選奨土木遺産に認定されている。
- ^ 1986年(昭和61年)の水利使用許可の値。『100年』 p. 307(第1疏水8.35m3/s、第2疏水15.30m3/s)
- ^ a b c d 『環境史』 p.123
- ^ 文化庁の国指定文化財データベースに史跡名勝記念物「琵琶湖疏水」として登録されている http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp
- ^ 明治23年4月12日『官報』第2032号。国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 明治23年4月11日『官報』第2031号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ1
- ^ 三浦藤作『歴代詔勅全集 第6巻』河出書房、1940。国立国会図書館デジタルコレクション コマ91
- ^ 『100年』 p. 64には「朝廷からいただいた“お土産金”と称し」たという。明治3年3月付太政官示達「今般格別之御詮議を以て其府下人民産業基立金として五万両被渡下候間、取計方行届候様、御沙汰候事」、閏10月5万両追加。明治21年度に元利計39万6千円余りとなっていた。同書 pp. 64-67に詳述。
- ^ 第2疏水事業、水道事業、市電開通及び幹線道路拡幅の3つを指す
- ^ 電力の節は『100年』pp. 270-316、422-448による
- ^ a b c 「諮問案・趣意書」は『琵琶湖疏水の100年』資料編 pp. 16-19に収録。叙述編 pp. 67-75に解題
- ^ 出典:植村善博 著『京都の治水と昭和大水害』文理閣刊
- ^ “琵琶湖疏水の発電施設群”. 土木学会選奨土木遺産. 土木学会. 2018年2月1日閲覧。
- ^ 舟運の節は『100年』 pp. 244-269による
- ^ 『100年』 pp. 257-263
- ^ 『100年』 p. 268
- ^ 現在の膳所駅。旧逢坂山トンネル経由で現在の大津駅は存在せず、膳所と浜大津の間は貨物のみ
- ^ a b 『100年』 p. 248
- ^ 上栄町-浜大津の大津市中心部、京町通角の路上にあった
- ^ 『100年』 p. 261、資料編 p. 203では京津線の三条-浜大津も同年としているが誤り。札ノ辻-浜大津延長は1925年
- ^ びわ湖疏水船(2018年2月28日閲覧)
- ^ a b 明治維新150周年を迎え行事多彩/琵琶湖疏水に観光船 本格的運航、67年ぶり『日本経済新聞』朝刊2018年2月27日(京都経済・観光特集)
- ^ 水道の節は『100年』 第4章第3節「水道事業のはじまり」pp. 449-475および附章「よみがえる京の水」pp. 586-674による
- ^ 『琵琶湖疏水の100年』資料編 pp. 68-70に収録
- ^ 『100年』 p. 380など
- ^ 『100年』pp. 160-172
- ^ 『100年』p. 160。田辺朔郎の竣工奉告祭における工事申告文の値。
- ^ これのみ現状。1989年現在。
- ^ 単位は『100年』のまま
- ^ 『100年』 pp. 172-174。暗渠、橋梁、堰止など不明
- ^ p. 137では51間 (92.73m)
- ^ 『100年』 p. 234。ただし掘割と築立のメートル換算の延長合計が総延長に一致しない。
- ^ 『100年』p. 247も参照
- ^ 第2疏水完成時の諸元は『100年』 pp. 402-412
- ^ 昭和62年現在。『100年』 p. 397
- ^ 『100年』 p. 404に3894mとあるが明らかに間違い
- ^ 『100年』 pp. 415-419では表現が錯綜していて完工時の全貌が把握できない。『琵琶湖疏水誌』による。
- ^ 『100年』pp. 523-526
- ^ 鉄道建設公団のP線として着工、実際は京阪電気鉄道が鉄道建設公団からの委託で敷設した
- ^ 鴨川水害京阪四条駅周辺の被災写真
- ^ 参考文献・植村善博著『京都の治水と昭和大水害』176-189頁「河川改修事業と実施」
- ^ 参考文献・『鉄道ピクトリアル』1984年1月増刊号「特集 京阪電気鉄道」の78-81頁「京都市内の地下化工事の経過と今後の予定」より
- ^ 老朽化や過去の地震の影響と見られる。倒壊の危険性も判明したため、7月31日から8月8日にかけ、緊急の防護工事を実施国の史跡「水路閣」倒壊防止へ緊急工事 京都市 産経新聞 2008年7月29日
- ^ 琵琶湖疏水訴訟:三井寺と京都市が和解 紛争20年やっと 毎日新聞 2013年4月18日
- ^ 出典・京都市上下水道局発行「京の水だより」Vol.5平成24年11月、『京都市水道創設百周年』より
- ^ “令和三年度土木学会選奨土木遺産が決まりました”. 土木学会 (2021年9月28日). 2021年9月28日閲覧。
- ^ “令和三年度 土木学会選奨土木遺産 一覧”. 土木学会 (2021年9月28日). 2021年9月28日閲覧。
- ^ 読売新聞 2015年3月31日朝刊京都版
- ^ 京都新聞 2012年8月20日朝刊「潤いをとどけて 京都市水道100年『7)市民の感謝』」
- ^ 『100年』には「白川道」と表記されている。白川道は『京都市都市計画街路・道路』京都市 (平成12年6月) p. 191によれば、現在の志賀越道の旧称とされる
- ^ 『100年』刊行時点。2008年の京都市上下水道局webサイトにも分線の距離同一のため、変更はないと考えられる
- ^ 『環境史』 p.124
- ^ 2012年3月13日京都新聞夕刊の一面の記事より
- ^ 経済産業省・近代化産業遺産 平成19年度「近代化産業遺産群 33」 http://www.meti.go.jp/policy/local_economy/nipponsaikoh/pdf/isangun.pdf#page=83
- ^ 京都市上下水道局 お知らせ 近代化産業遺産への認定 http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000028522.html
- ^ 土木学会 関西地方の選奨土木遺産 琵琶湖疏水の発電施設群 http://www.jsce.or.jp/contents/isan/blanch/5_6.shtml
- ^ 『とんねる』p. 3、『疏水誌』p. 34
- ^ 『とんねる』p. 64、『疏水誌』p. 34
- ^ 『疏水誌』p. 25-26「暫時の間我が京都は世界での水力電気の本場となって欧米諸国人からも続々問合せがあった位である」
- ^ 『100年』p. 466など
- ^ 『100年』 pp. 170-172、『疏水誌』p. 57-58
- ^ まんぽとはトンネルの方言であると考えられている[要出典]
- ^ 邦訳「295 斜歪穹窿」『ランキン氏土木学』、891-896頁。、 原書 Rankine, W.J.M. (1894). “295 Skew Arches”. A Manual of Civil Engineering (17th ed.). London: Charles Griffin and Co., Ltd.. pp. pp. 429-432
- ^ 『100年』p. 172
- ^ “琵琶湖疏水”. 京都市上下水道局. p. 17. 2019年8月17日閲覧。
- ^ 『とんねる』図9、p. 8
- ^ 『とんねる』図10、p. 9
- ^ 『とんねる』図11、p. 9
- ^ 『要誌』318頁に続く3枚目の図版の一部
- ^ 琵琶湖疏水記念館のご紹介(2018年2月28日閲覧)
- ^ 福澤諭吉も反対していたという(琵琶湖疏水:歴史と技術の資料館(財団法人 国土技術研究センター))。
- ^ 『100年』 p. 199
- ^ 「琵琶湖疏水で観光力 船運航など活用 京商が学習体験型事業」京都新聞2006年9月7日
- ^ 「琵琶湖疏水に観光船を」 実現目指し京都と大津市が検討チーム 両市長、船上から視察 - MSN産経ニュース(2013年12月17日)
- ^ 「琵琶湖疏水を観光航路へ 京都市がプロジェクトチームを」京都新聞2014年1月7日
- ^ 「琵琶湖疏水クルーズ 運航へ トンネル視察」京都新聞2014年3月14日
- ^ 「琵琶湖疏水観光船 官民協力で 来年度にも 試験航行」京都新聞2014年5月25日
- ^ 琵琶湖疏水のトンネル「安全」 京都市が調査、観光船就航へ弾み - 京都新聞2014年8月19日
- ^ 琵琶湖疏水クルーズ、3月から試験運航 大津-京都間 - 京都新聞2015年1月26日
- ^ 桜の琵琶湖疏水観光船が人気 試験運航第1期、乗船倍率20倍超 - 京都新聞2015年2月28日
- ^ 琵琶湖疏水クルーズ、試験運航開始=京都市 - 時事ドットコム2015年3月27日
- ^ 「琵琶湖疏水通船復活」試行事業 第2期乗船者モニター募集の結果について - 京都市上下水道局(2015年3月27日)
- ^ 観光船運航、採算が課題 琵琶湖疏水、観光潤す(1) 軌跡 - 日本経済新聞2015年1月14日
琵琶湖疏水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:25 UTC 版)
北垣が京都府知事に着任した頃の京都の街は、東京奠都などにより東京や大阪などへの人口流出、産業衰退により、都市としての活力が失われつつあった。北垣は、京都の勧業政策として琵琶湖から京都までの疏水建設によって、灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画した。 疏水の設計は工部大学校(後の東京大学工学部)を卒業した京都府技師の田辺朔郎が進め、4年8ヶ月の大工事で完成させた。工期途中で視察のためアメリカ合衆国を訪れた田辺は、当初の計画になかった水力発電を取り入れ、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設し、1895年には京都・伏見間で日本初となる路面電車(京都電気鉄道)の営業運転が始まることとなった。 琵琶湖疏水建設は、国や京都府の財政支出のみならず、市債や寄付金などのほか、市民に対しての目的税をも財源とし、府民と一体となって取り組んだ。さらに、京都商工会議所などの創設などに尽力し、近代産業都市としての京都建設に大いに貢献した。 田辺と二人三脚で挑んだ琵琶湖疏水工事の物語が大阪書籍の小学校社会科教科書に掲載されていた。現在の京都の政財界において、歴代京都府知事の中で北垣を高く評価する人々が多い。
※この「琵琶湖疏水」の解説は、「北垣国道」の解説の一部です。» 「北垣国道」の概要を見る
琵琶湖疏水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 14:13 UTC 版)
詳細は「琵琶湖疏水」を参照 主たる水源である琵琶湖より導水のための施設で、琵琶湖にある取水口および大津市内の区間を含め当局が管理している。
※この「琵琶湖疏水」の解説は、「京都市上下水道局」の解説の一部です。» 「京都市上下水道局」の概要を見る
琵琶湖疏水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:25 UTC 版)
北垣が京都府知事に着任した頃の京都の街は、東京奠都などにより東京や大阪などへの人口流出、産業衰退により、都市としての活力が失われつつあった。北垣は、京都の勧業政策として琵琶湖から京都までの疏水建設によって、灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画した。 疏水の設計は工部大学校(後の東京大学工学部)を卒業した京都府技師の田辺朔郎が進め、4年8ヶ月の大工事で完成させた。工期途中で視察のためアメリカ合衆国を訪れた田辺は、当初の計画になかった水力発電を取り入れ、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設し、1895年には京都・伏見間で日本初となる路面電車(京都電気鉄道)の営業運転が始まることとなった。 琵琶湖疏水建設は、国や京都府の財政支出のみならず、市債や寄付金などのほか、市民に対しての目的税をも財源とし、府民と一体となって取り組んだ。さらに、京都商工会議所などの創設などに尽力し、近代産業都市としての京都建設に大いに貢献した。 田辺と二人三脚で挑んだ琵琶湖疏水工事の物語が大阪書籍の小学校社会科教科書に掲載されていた。現在の京都の政財界において、歴代京都府知事の中で北垣を高く評価する人々が多い。
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