郡山堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 09:28 UTC 版)
郡山堀(こおりやまぼり)は、仙台藩・陸奥国名取郡郡山村(現・宮城県仙台市太白区郡山付近)の灌漑のため、同村の肝煎であった小倉三五郎により1854年(安政元年)から1855年(安政2年)にかけて開削された用水路である。現在も同地区の農業用水として利用されている。1928年(昭和3年)から一部が暗渠化されている。
- ^ 仙台市道太白404号・長町北町西裏1号線(最小幅員4.75m、最大幅員9.60m、延長500.4m)
- ^ 仙台市道太白2309号・原町広岡(その2)線(最小幅員21.27m、最大幅員36.31m、延長2101.3m)
- ^ 仙台市道太白745号・長町町東線(最小幅員3.50、最大幅員13.14m、延長1036.0m)
- ^ 仙台市史「通史編3 近世1」308頁~309頁
- ^ a b 郡山堀(仙台市「広瀬川ホームページ」)
- ^ 仙台市史「通史編3 近世1」305頁
- ^ 長町(昭43) (PDF) (仙台市「仙台市の住居表示実施状況」 2.実施地区名一覧《実施年降順》)
- ^ 市民企画講座 Loveな ひろせがわ「知られざる郡山堀」(仙台市中央市民センター)
- 1 郡山堀とは
- 2 郡山堀の概要
- 3 流路
- 4 流路における研究
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