板名用水とは? わかりやすく解説

板名用水

板名用水
柿原堰
板名用水 疏水概要
疏水所在
阿波市上板町板野町

所在地域の概要
板名用水は徳島県中央横たわる四国山脈と、香川県との県境をなして東西横たわる阿讃山脈の、ほぼ中央流れ吉野川北部下流域位置し、1市2町にまたがっている。

疏水概要・特徴
取水口阿波市(旧吉野町〕にあり、一級河川吉野川本川築造された柿原堰により、堰上げした柿原樋門より自然取水をしている。その後導水された南北分水工から北部幹線南部幹線分岐し、822haの農地潤している。


くわしい情報
板名用水
板名用水土地改良区
http://www.itana.net/
板名用水

板名用水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/31 04:07 UTC 版)

板名用水(いたなようすい)は、徳島県阿波市吉野町柿原吉野川から取水し、同県板野郡板野町まで流れる用水路である。一部は宮川内谷川に、一部は吉野川に合流する。

名前の由来

創立当時の灌漑地域が板野郡名西郡にまたがっており、その頭文字の「板」と「名」を取って命名された[1]

歴史

吉野川左岸の現上板町一帯の平地は、作を中心とする畑作地帯であった。しかし明治中期には安価なインド産藍や合成染料の輸入によって、藍の価格が低迷し、藍作の先行きが暗くなった。さらに1904年に始まった日露戦争により、国を挙げての食糧増産の機運が高まり、豊富な吉野川の水量を生かして米作への転換が企図された[2]

1904年明治37年)から計画は進められ、翌1905年水利組合創設[3]1906年(明治39年)起工し、1908年(明治41年)通水、1912年大正元年)に支線を含む全工事が完了した[4]。当時の灌漑面積は7253(約719ha)であり、総工事費は235万7500円だった[4]1980年時点での関係面積は914.0ha[5]2005年時点での受益面積は808haである[1]

堰堤

用水路完成後も、吉野川の水流変遷や水位低下、あるいは洪水による損傷によってたびたび取水困難となり、そのたびに改良工事を行なっていたが、1918年(大正7年)の大洪水を契機に本格的な堰堤の建設が始められた[6]。この堰堤工事は1919年(大正8年)に一旦完成し、その後増築工事が行われ1924年(大正13年)に現在の形となった[7]

脚注

  1. ^ a b about”. 板名用水土地改良区. 2014年8月15日閲覧。
  2. ^ 『上板町史』p.225
  3. ^ 『上板町史』p.226
  4. ^ a b 『上板町史』p.229
  5. ^ 『上板町史』p.230
  6. ^ 『上板町史』p.231
  7. ^ 『上板町史』p.232

参考文献

  • 上板町史編纂委員会編『上板町史 下巻』1985年

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