大利根用水とは? わかりやすく解説

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大利根用水

大利根用水
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大利根用水
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大利根用水
水土里の路ウォーキング
((仮称)大利根用水ウォーキング)
大利根用水
疏水を守る活動
(西琴田地区/旭市/西琴田資源保全会)
大利根用水
疏水を守る活動
(川口地区/旭市/川口資源保全会)
大利根用水
大利根用水 疏水概要
疏水所在
千葉県九十九里平野北東部位置する八日市場市旭市の2市及び香取郡匝瑳郡山武郡の3郡4町にまたがり、その耕地面積17,000haに及ぶ海抜3〜7mの平坦な地域である。

所在地域の概要
千葉県九十九里平野北東部位置する八日市場市旭市の2市及び香取郡匝瑳郡山武郡の3郡4町にまたがり、その耕地面積17,000haに及ぶ海抜3〜7mの平坦な地域である。

疏水概要・特徴
さかのぼること5000年前、大利根用水地域椿の海であったが、九十九里一帯潟湖ラグーン)が進み内陸部椿の湖となった江戸末期には新田三大開発中でも日本最大級千葉県椿の湖干拓水土里ネット干潟管内が行われ、18と2,741町歩新田誕生した。もともと溜池天水)を用水源としていた本地域は、しばしば旱魃見舞われ大正13年大旱魃を契機利根川から引水するという壮大な計画野口太郎技師千葉県耕地課)により提案実行され昭和10年県下初の県営事業(総事業費2億円)により、笹川揚水機場を始めとした大幹線用水路東西幹線用水路等が昭和26年完成し旱魃用水不足が救われた。その後施設の老朽化に伴い国営大利根用水農業水利事業昭和45年度〜平成4年度、総事業費340億円)により施設の更新を行う一方平成7年度UR対策新規創設され広域農業基盤緊急整備促進事業干潟地区2,350haの再整備着手し豊葦原瑞穂の国相応し大区画の美田生まれ変わりつつある。



くわしい情報
大利根用水
大利根用水
大原幽学記念ホームページ
http://www.city.asahi.chiba.jp/yugaku/
大利根用水

大利根用水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 11:30 UTC 版)

大利根用水(東庄町)

大利根用水(おおとねようすい)は、千葉県北東部の利根川沿岸地域の排水と、九十九里平野北部の地域への農業用水の供給を目的とした用水路疏水百選に選定されている。

概要

千葉県香取郡東庄町で利根川の水を取水し、九十九里平野の北部一帯を灌漑する農業用水である[1]。具体的には、東庄町笹川の笹川揚水機場で黒部川に導き入れた利根川の水を取水し、地下水路を通して東庄町の下総台地を越え、旧椿海沿岸の同町窪野谷にある旭市飛地内の分水工で、東幹線・新川水系・西幹線に分岐し、旭市匝瑳市横芝光町栗山川東岸まで)の農地灌漑用水を供給している[2]

歴史

昔九十九里平野の北東端には遊水池としての役割を果たし下流の村々の農地の灌漑に用いられていた椿海というがあったが江戸時代干拓され、元禄2年(1689年)には「干潟8万石」18ヶ村が成立した。元々湖であったこの干拓地は水害の被害を受けやすく、干拓地の排水を優先した幕府は下流にを設けることを禁じ、下流では渇水による被害を受けやすい状況となり、ため池を作るなど干拓地の排水と下流の利水を両立させる為のさまざまな対策が取られたが[3]、動力による揚水が不可能だった当時でもあり、いずれも抜本的な対策とはなり得ず、水害と旱魃に苦しめられることが少なくなかった。

一方、黒部川合流地点などの利根川沿いでも、その後の利根川東遷事業の影響や、増水時の遊水地の役割を果たしていた船着場が明治以降その役割を終えたこと、また明治43年(1910年)の大水害の後中条堤を要とする治水システムが崩壊したことや霞ヶ浦水系の分離もあり、増水が直接水位の上昇に結び付き水害に悩まされるようになっていた。さらに1924年-1925年(大正13年-大正14年)、1933年(昭和8年)の大干魃や洪水により、用排水の必要性が認識された[3]。1935年(昭和10年)野口初太郎が利根川を水源とする利根川引水計画構想を発案し、排水と利水を両立させるこの大利根用水が計画され、第1次県営大利根用水改良事業として着工する[2][4]。猛烈な反対運動や戦中戦後の資材不足を経て、終戦後の昭和25年(1950年)に完成、ようやく安定した農業用水が供給されるようになった。

だが、大利根用水完成の5年後の1955年(昭和30年)には塩害が発生し被害面積は約3,200町歩に及び、翌年以降塩害の被害が拡大、1958年(昭和33年)には被害面積は約30,000町歩に及んだ。このため、関係市町や土地改良区から「潮止め堰建設」の要望が出され、建設省関東地方建設局の調査を経て、1962年(昭和37年)5月に設立された水資源開発公団の事業として利根川河口堰の計画が1964年(昭和39年)10月に決定され、1965年(昭和40年)に着工し、1971年(昭和46年)に竣工した。また、大利根用水の施設は、戦中戦後の資材難の時代に施工されたものであるためこの間の老朽化が著しく、更新事業として国営大利根用水土地改良事業が行われた[4]1970年(昭和45年)から1992年(平成4年)までの23年間をかけて全面的な改修が行われ[4][3]、九十九里平野北部の地域の農業用水の安定した供給に役立っている。

脚注

  1. ^ おおとねようすい【大利根用水】 | お | 辞典”. 学研キッズネット. 2022年3月18日閲覧。
  2. ^ a b 第33回疎水百選 大利根用水”. 京葉銀行. 2022年3月18日閲覧。
  3. ^ a b c 千葉県 大利根用水農業水利事業―水土の礎”. suido-ishizue.jp. 一般社団法人農業農村整備情報総合センター. 2022年3月18日閲覧。
  4. ^ a b c 大利根用水地区”. www.inakajin.or.jp. 全国土地改良事業団体連合会. 2022年3月18日閲覧。

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