宮川用水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/03 02:20 UTC 版)
宮川用水(みやがわようすい)は、一級河川「宮川」を水源とする三重県南勢地区のかんがい用水路群の総称である。主要施設は宮川用水土地改良区が管理している。
概要

宮川総合開発事業(1952年(昭和27年)起工)において、農業用水事業として建設された。

宮川用水の受益地である伊勢平野は、三重県中南勢部に位置し、「お伊勢さん」として広く知られている伊勢市他4町にまたがる優良農業地帯である。しかし、実は戦後に至るまで宮川の水は農業用水として利用されていなかった。そのため、農家はかんがい用水を天水やため池に頼らざるを得なかった。さらに宮川の源流部である大台ヶ原は日本屈指の多雨地帯であるため、下流域は度々洪水に襲われ、不安定な天候に左右される営農を余儀なくされていた。 古くから多くの農家に望まれながら、幾度となく挫折を繰り返してきた宮川の利水だが、1972年(昭和47年)に「宮川用水事業」でついに達成された。これによって地域農業の安定化と農業経済は飛躍的に向上し、伊勢平野は三重県有数の穀倉地帯へと変貌したのである。 その後、地域農業をさらに発展させていくうえで、一層の水資源の有効活用と用水管理の効率化が必要になったことから、1995年(平成7年)から、第二期事業が開始され、2025年現在も用水路のパイプライン化工事等が実施中である。
多気郡大台町の宮川流域で取水し、多気郡大台町、多気町、明和町、度会郡玉城町、伊勢市の農地に配水されている。
受益面積:4,428ha(水田 3,897ha、普通畑 531ha、2023年現在)
主な施設

- 国営施設 - 農林省(現・農林水産省)が建設した水路及び施設
- 粟生頭首工(あおとうしゅこう) - 多気郡大台町粟生にある取水のための可動堰
- 導水路 - 粟生頭首工から笠木分水工(多気郡多気町笠木)までを接続する用水路
- 新導水路 - 笠木分水工から斎宮調整池(多気郡明和町池村)を接続する用水路
- 第1号幹線水路 - 斎宮調整池から、伊勢市御薗町までを接続する用水路
- 第2号幹線水路 - 笠木分水工から度会郡玉城町宮古を接続する用水路
- 県営施設 - 三重県が建設した水路や施設で、国営線から各地へ配水する用水路
- 団体営施設 - 宮川用水土地改良区が建設した水路や施設で、国営線や県営線から各地へ配水する用水路
沿革
- 1951年(昭和26年) - 宮川総合開発事業の中に農業用水が組入れられる。
- 1957年(昭和32年) - 宮川用水土地改良区が設立される。
- 1958年(昭和33年) - 国営宮川用水(第一期)事業着工。
- 1961年(昭和36年) - 県営宮川用水事業着工。
- 1962年(昭和37年) - 粟生頭首工、国営幹線水路、団体営用水路を着工。
- 1964年(昭和39年) - 粟生頭首工、国営導水路竣工。
- 1966年(昭和41年) - 国営幹線水路竣工。
- 1976年(昭和51年) - 県営用水路竣工。
- 1982年(昭和57年) - 団体営用水路竣工。
- 1995年(平成 7年) - 国営宮川用水第二期土地改良事業着工。
- 2005年(平成17年) - 国営第二期関連(県営)事業着工。(実施中)
- 2012年(平成24年) - 国営宮川用水第二期土地改良事業竣工。
宮川用水事業(第一期)
第二次世界大戦敗戦直後は食糧増産対策が国を挙げた第一の課題となり、全国各地で大規模な農業水利事業が展開され、三重県では宮川の開発に的が絞られた。治水と電力開発に農業水利が加わり、1951年(昭和26年)に「宮川総合開発事業計画」が立案された。事業の概要は、宮川村大杉(現大台町大杉)に宮川ダムを建設して水害軽減を図るとともに、かんがい用水として最大750万トンを放流し、併せて3ヶ所の水力発電所で電力を生み出すというものであった。宮川ダムは1951年(昭和26年)に着工、1956年(昭和31年)に完成した。
「宮川用水事業」は、伊勢平野のほとんどを潤すための用水網の建設計画であり、三重県農政史上初の大規模プロジェクトとなった。昭和32年(1957)に着工され、同時に施設を維持管理するため宮川用水土地改良区が設立された。国営事業では、宮川ダム下流40km地点の粟生(大台町)に頭首工を建設し、国束山系に隧道を通して導水し、大台町、多気町、玉城町、明和町、伊勢市の農地約5,800haにかんがいする計画が立てられ、粟生頭首工と導水路、幹線水路37.7kmが昭和41年(1966)に完成した。また、国営付帯県営かんがい排水事業では、既存のため池を調整池として利用しながら、支線水路21路線、54.8kmと揚水機2カ所が建設され、昭和53年(1978)に完成した。さらに、団体営事業では昭和36年(1961)に着工し、用水路55路線、78.6km、畑地かんがい施設16地区が昭和57年(1982)に完成した。
宮川用水事業(第二期)
水稲品種の単一化による田植えの早まり、大型機械化の進行等による代かき時期の集中、ほ場整備の進展による乾田化などにより、代かき用水を含め農業用水が不足するとともに、水路等の基幹的農業水利施設は建設後40年以上が経過し、老朽化により沈下・ひび割れ等が目立ち漏水事故が発生、維持管理の負担が増加してきた。また、開水路区間においては、水路への転落事故の発生も懸念され、早急な改善が必要となった。
このため、農業経営に即した農業用水の確保と「一期事業」で造成した水路施設の改修を通じて、宮川用水地域の農業用水の安定的な確保と維持管理費の節減を図り、併せて関連事業の実施により営農の合理化と農業経営の安定に資することを目的として、国営宮川用水第二期事業(平成7年度~平成24年度)が実施された。
国営二期事業では用水不足に対応するとともに、農業用水の安定的な確保を図るため、取水量の増量を行い、調整池を新設し、また、施設の適正な機能を発揮させるため、老朽化した施設を更新、開水路をパイプライン化し、転落事故等の発生防止を図るとともに、水路へのごみの混入の軽減等を通じて維持管理労力を軽減させている。
参考資料
- 『宮川用水史』(1986年3月25日発行、宮川用水土地改良区)
- 『水土里の森 宮川用水の概要』(2008年発行、宮川用水土地改良区)
- 『伊勢平野の礎』(2011年発行、東海農政局宮川用水第二期農業水利事業所・宮川用水土地改良区)
- 『河川』(2024年8月号、日本河川協会)
外部リンク
宮川用水
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「宮川ダム (三重県)」の記事における「宮川用水」の解説
宮川ダム完成後、宮川総合開発事業の一環として大台町の粟生地区に粟生頭首工が作られた。粟生頭首工からは宮川用水へ導水され、伊勢市、度会郡玉城町、多気郡大台町、明和町、多気町の農地を潤している。1966年(昭和41年)に完成した下流の三瀬谷ダムとともに、宮川ダムは粟生頭首工への水量調節を行なっている。宮川用水は国営事業として1966年(昭和41年)までに幹線水路37.3kmを完成させ、その後は三重県の県営事業として1978年(昭和53年)までに支線水路と揚水機が整備され、受益面積は水田3,225ha、畑808haの合計4,033haに及んだ。1994年(平成6年)には水田4,291ha、畑613ha、合計4,904haとなり、状況変化と老朽化が進んだことから2007年(平成19年)までの予定で改良事業が行なわれている。
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