工業用水道
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工業用水道(こうぎょうようすいどう)とは、工場などの事業所に人体と直接接しない目的で用いる雑用水を供給するものである。地方公営企業の事業として整備されることが多い。
注釈
- ^ 農業用水の割合は、日本では6割、米国では4割である。
出典
- ^ “工業用水道事業法(昭和三十三年法律第八十四号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局 (2014年6月13日). 2019年12月28日閲覧。 “2016年4月1日施行分”
- ^ 柴田明夫著、『日本は世界一の「水資源・水技術」大国』、講談社、2011年11月20日第1刷発行、ISBN 9784062727419
- ^ 平成26年工業統計表「用地・用水編」 - 経済産業省大臣官房調査統計グループ
- 1 工業用水道とは
- 2 工業用水道の概要
工業用水道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/07 07:59 UTC 版)
高梁川河口の倉敷市水島地区は、1941年に三菱重工業水島航空機製作所(現・三菱自動車工業水島製作所)が建設されて以降、川崎製鉄水島製鉄所(現・JFEスチール西日本製鉄所倉敷地区)、三菱石油水島精油所、日本鉱業水島製油所(いずれも現・JXTGエネルギー水島製油所)等の大企業が相次いで進出したことにより水島臨海工業地帯として発展した。このため岡山県は、水島臨海工業地帯に工業用水を安定的に供給するため水島工業用水道事業に着手し、その第1期事業の水源施設として河本ダムを建設することにした。第1期事業(給水能力122,500m3/日)は1961年7月に一部給水が開始され、河本ダムは総事業費43億円をかけて1964年2月に完成した。なお、当初は高梁川本川中流部の高梁市中井地先に「方谷ダム」を建設する計画であったが、その後中止になったため代案として河本ダムが建設された。 その後、工業用水の需要が拡大したため水島工業用水道の給水施設拡充が図られ、新成羽川ダムを水源とした第2期事業の給水が1968年4月に、第3期事業の給水が1970年9月に開始した。さらに1971年からは千屋ダム等を水源とした第4期事業に着手し、1975年から一部給水を開始した。しかし、第1期事業は設備の老朽化および経済情勢の変動による工業用水需要の減少により、第4期に統合される形で昭和54年度末に廃止され、以降河本ダムは第4期事業の水源施設となった。水島工業用水道の現在の給水能力は第2期(201,500m3/日)、第3期(206,500m3/日)、第4期(300,000m3/日)の計7,080,000m3/日となっている。
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