琵琶湖水運との接続駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:23 UTC 版)
明治初頭、東京と神戸を結ぶ鉄道路線を敷設するにあたり、名古屋と京都の間は関ケ原を通る中山道ルートに決められたが、その際に滋賀県内では琵琶湖の水運を代替として、建設を猶予する指針が立てられた。 そのため、湖に面した港町に水運と鉄道の接続駅を設けることになり、京都・大阪方面で1880年(明治13年)に大津駅(初代)が開業した後、岐阜・名古屋方面と敦賀方面の分岐点として、開設が決められたのが長浜駅であった。鉄道は長浜を始点として、まずは岐阜へ向かう路線が着工された。 それと並行して日本海沿岸の水運の拠点だった敦賀と京都を結ぶ鉄道も計画された。これも東西幹線と同じように、暫定的に琵琶湖水運を活用する形で、長浜駅を始点として敦賀を目指す形で着工された。鉄道連絡船(太湖汽船)は1882年(明治15年)に運航を開始した。 敦賀行きの路線が先に開業し、これが当駅の創始となった。当時の駅舎は現存しており、日本最古の鉄道駅舎として1958年(昭和33年)10月14日に鉄道記念物に指定され、「旧長浜駅舎鉄道資料館」として公開されている。 後に、岐阜方面へ向かう路線も開業して当駅は鉄道の結束点となり、1889年(明治22年)4月16日からのおよそ3か月間は、岐阜以東を東海道経由にルートを変更して新橋駅 - 長浜駅間・大津駅 - 神戸駅間が完成した東西幹線(後の東海道本線)の中継を担う存在となった。しかし同年7月1日、岐阜側と敦賀側の鉄道分岐点として米原駅が建設されたほか、分岐点(後に深谷駅)から米原駅を経て馬場駅(後の膳所駅)に至る湖東線が開業したことから、当駅は陸運と水運の接続点としての役目を終え、若狭や北陸へ向かう路線(後の北陸本線)の中間駅となった。
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