分断後とは? わかりやすく解説

分断後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 22:31 UTC 版)

京元線」の記事における「分断後」の解説

北朝鮮 朝鮮民主主義人民共和国側では、平康より北の部分江原線として存続した。 韓国 大韓民国側ではソウル近郊通勤路線として発展遂げている。1974年一部電化複線化開業同時にソウル特別市地下鉄公社ソウル交通公社1号線を介して京釜線京仁線との直通運転開始その後順次電化複線化区間延伸し、現在は龍山 - 逍遥山間は広域電鉄化され10両編成電車頻繁に往復している。 電鉄区間長らく1号線」とまとめられてきたが、2005年12月16日中央線清凉里 - 徳沼間広域電鉄開通により、すでに半独立的な運転が行われてきてた龍山 - 回基間は中央電鉄線(現・首都圏電鉄京義・中央線)として分離された。 東豆川以北単線逍遥山以北非電化ローカル線であり、3両編成の「通勤列車」が運転されている。2014年4月30日京義線通勤列車廃止以降は、KORAIL唯一の通勤列車運行区間となったこのように京元線首都圏電鉄京義・中央線形成する龍山 - 回基間、首都圏電鉄1号線形成する回基 - 逍遥山間、そして気動車による一般列車運行される東豆川 - 白馬高地間と、運行系統三分されている。全区間通し運転する旅客列車は、ソウル - 白馬高地間に1往復設定されている平和列車DMZ-train)のみで、また運賃電鉄区間一般列車区間平和列車それぞれ異なっており、乗り継ぎの際は乗車券別に買い求める必要がある。また2019年4月1日からは平和列車運行休止しており、全区間通し運転する列車存在しない2006年12月15日、佳陵 - 東豆川の間で急行電車の運転開始した。この急行電車佳陵駅からは仁川行き各駅停車として、京釜線および京仁線直通運転をしている。 2011年7月28日集中豪雨により通勤列車区間内路盤豪雨により流失したため、同日より東豆川 - 新炭里間の通勤列車運休となった2012年3月21日本数を6往復減便の上運転を再開し同年7月1日災害前の通常ダイヤ戻った。 かつて沿線だった鉄原郡では新炭里 - 鉄原駅までの復元開業長らく要求してきた。実際廃止された区間復旧再開も京義・東海線とともに検討され1991年にすでに用地買取設計など済まされていたが、地形的理由見送られてきた。2006年6月になって新炭里 - 鉄原間9.3kmの復活決定したが、鉄原駅民間人出入統制区域内に位置しているため、3kmほど南の区域外に白馬高地駅新設し、同駅までの5.6kmを建設する計画変更された(同時に、この区間路線を元の経路より西寄り移している)。この区間2007年12月31日着工し2012年11月20日開業した

※この「分断後」の解説は、「京元線」の解説の一部です。
「分断後」を含む「京元線」の記事については、「京元線」の概要を参照ください。

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