分断前とは? わかりやすく解説

分断前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 22:31 UTC 版)

京元線」の記事における「分断前」の解説

元々は日本統治時代の朝鮮において、日本海側港町元山ソウル当時呼称は「京城」)の間を結ぶための223.7kmの路線として、1910年着工1914年龍山 - 元山間が全線開業した。しかし、途中で朝鮮半島脊梁せきりょう背骨)に当たる太白山脈横断する難所があり、福渓 - 高山間には25‰(パーミル1000分の25)の急勾配設けられたため、建設運行には様々な苦労があった。なお、途中鉄原駅からは私鉄路線金剛山電気鉄道1924年から分岐するようになり、京元線直通して京城 - 内金剛間を結ぶ夜行臨時列車設定されたこともあった。 後には満州中国東北部)への連絡を図るため敷設され元山 - 会寧間の咸鏡線(617.6km、1928年9月全通と共に朝鮮半島から満州へルート一つにもなった。そのため軍事輸送増したことなどから、終戦間近1944年には急勾配区間の福渓 - 高山間が直流電化(3000V)され、「デロイ型」と呼ばれる電気機関車投入された。 1945年第二次世界大戦において日本敗戦した後、朝鮮半島北緯38度線を境に南はアメリカ軍、北はソビエト連邦軍占領されこの影響により同年9月11日京元線北緯38度線を境に南北分断される。但し、当時漣川郡38度線より北の北朝鮮であったため、朝鮮戦争勃発するまでは東豆川駅南側最北端であった。しかし、朝鮮戦争勃発により、南北占領地域が激しく変わったため、細かい運行地域不明であるが、韓国側では朝鮮戦争終結後長らく軍事境界線の手前の新炭里駅京畿道漣川郡)までの営業となった

※この「分断前」の解説は、「京元線」の解説の一部です。
「分断前」を含む「京元線」の記事については、「京元線」の概要を参照ください。

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