幽霊駅の「復活」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:25 UTC 版)
1989年11月のベルリンの壁崩壊後、最初に幽霊駅の構内に足を踏み入れた人々は、まさに幽霊駅という名前通りの情景を目にすることになった。そこには、東西に分断された1961年以来なにひとつ変わっていない広告や駅標識が、亡霊のごとく佇んでいたのである。現在は新しいものに取り換えられている。 交通機関として復帰した最初の幽霊駅はヤノヴィッツブリュッケ駅 (U8) で、1989年11月11日、壁崩壊のわずか二日後のことであった。フリードリヒシュトラーセ駅と同様に検問が設けられ、東ドイツ税関と国境検問所が暫定的に置かれて、乗客の東ベルリン往来にお墨付きを与えた。急ごしらえの手書きの矢印通路案内板が、1961年以前の古いものと置き換えて壁に掛けられた。なおこれらの案内板はどれも、経年による痛みや1961年以降の地下鉄ターミナルの拡張事業の間に四散してしまっている。1989年12月22日、ローゼンターラー・プラッツ駅(ドイツ語版) (U8) も、同様の仮検問が置かれたうえで駅業務を再開した。 1990年4月12日、3番目の再開通駅はベルナウアー・シュトラーセ駅(ドイツ語版) (U8) であった。この駅は北口が地上に直通しており、検問通過の必要なしに西ベルリンへ行くことができた。東ベルリンへ通じる南口の封鎖解除は1990年7月1日まで待つことになったが、同日にU6線とU8線の全ての駅が検問なしに駅業務を再開し、この日東ベルリンおよび東ドイツは西ドイツと完全に交通がつながって二国間の全ての国境検問が廃止された。 1990年7月2日、オラーニエンブルガー・シュトラーセ駅(ドイツ語版)が、Sバーン南北線において再開通した最初の幽霊駅となった。1990年9月1日、ウンター・デン・リンデン駅とノルト駅(ドイツ語版)が再編成事業によって再開通した。1990年12月12日、ボルンホルマー・シュトラーセ駅が西ベルリン車両に対して門戸を開いた。東ベルリン専用だった2番ホームも1991年8月5日には相互に行き来が可能になった。一番後に再開通した幽霊駅はポツダマー・プラッツ駅で、1992年3月3日の南北地下線トンネル全体の拡張復旧に際してのことであった。 つづく数年間にベルリン市とドイツ政府は、市内のS・ U両バーン網の再編成と再合一に多大な努力をした。1995年のU1線ヴァルシャウアー・シュトラーセ駅(ドイツ語版)の業務再開をもって、Uバーン網は東西分断前の水準を取り戻した。Sバーン網については、ベルリンの壁の余波で依然閉鎖されたままの不開通区画を一部に残したものの、2002年の環状線再開通でもって完成の予備段階に達した。これらの閉鎖区画の再開通はまだ実現していない。
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