封鎖解除
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:52 UTC 版)
空輸作戦の成功が明白となり、さすがのソ連もベルリン封鎖の失敗を認めざるを得なくなった。こうして1949年5月12日に封鎖は解除された。 西ドイツでは、この空輸作戦を称し「ベルリンへの空の架け橋」(Berliner Luftbrücke) といった。テンペルホーフ空港の脇には「空の架け橋広場」(Platz der Luftbrücke) が造られ、空輸作戦の記念碑が建てられている。これと同様の記念碑は、輸送機の出発地となったラインマインにも造られた。 封鎖解除後も空輸作戦は西ベルリン市民の生活の安定のためにしばらく続けられ、公式には1949年9月30日に終了した。1948年6月26日からの総飛行回数は278,228回、空輸物資量は2,326,406 tに達した。空輸作戦で航空機の飛行した距離の総合計は、地球から太陽まで届くほどにもなった。 空輸作戦に要した費用は、当時の金額で約2億2400万ドルで、これは2008年の物価に換算すると約20億ドルほどになる。作戦期間中に17機のアメリカ軍機と8機のイギリス軍機が事故を起こし、アメリカ人31人、イギリス人40人を含む合計101人が亡くなった。
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