空輸作戦の成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:52 UTC 版)
空輸体制が完成し、1949年1月になると月間輸送量は171,690 tに達し、1日平均で5,540 tとなった。これは、冬期に暖房のために燃料の石炭使用量が増えることを勘案しても、なお西ベルリン市民の生活を支えるに十分な量であった。 4月16日には1日のフライト回数1,398回、空輸量12,940 tに達し、作戦全期間中を通じて最大を記録して、「タナー少将のイースター・パレードの日」と称されるようになった。 こうして事前には不可能と思われていた、西ベルリン市民の必要とする物資を航空機のみで輸送するという試みは、成功したことが明白となった。ソ連が西ベルリン市民による社会主義革命を期待していたのとは裏腹に、英米両国による生活物資輸送における必死の努力はベルリン市民に英米との連帯感を高めさせることになり、封鎖前に頻発していたストライキが影を潜めるという結果をもたらした。封鎖以前は英米軍に対し「占領軍」という意識をもっていた市民が多数だったのに対し、封鎖以降は意識が「防衛軍」と決定的に変わった。 なお、この封鎖危機に際してアメリカ合衆国国防予備船隊からも18隻の船舶が現役復帰し、1970年まで使用され続けた。
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