ゲメル短絡線
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「ドブシナー - ロジュニャヴァ線」の記事における「ゲメル短絡線」の解説
「ズヴォレン - コシツェ線#ゲメル短絡線」も参照 第一スロバキア共和国成立でČSDが分割されたスロバキア鉄道(SŽ ; Slovenské železnice)時代の1939年3月、ハンガリーのスロバキア侵攻による南部スロバキアの割譲に伴い、プレシヴェツ - ズヴォレン - ウルートキ鉄道線の大半にあたるプレシヴェツ - ルツェネツ間がMÁVに編入されたほか、プレシヴェツを起点とする当線およびプレシヴェツ - ムラーニュ鉄道線、プレシヴェツ - スラヴォショウツェ鉄道線のゲメル地方3線区の線区南部がそれぞれMÁVに編入されたため、山岳に囲まれたこれらのスロバキア国内残存線区が国内鉄道網から孤立する事態となった。 このため中部横断線であるマルゲツァニ - ズヴォレン鉄道線(現・チェルヴェナースカラ - バンスカービストリツァ鉄道線およびマルゲツァニ - チェルヴェナースカラ鉄道線)や同線に接続する残存のリマウスカーソボタ - ブレズノ鉄道線(現イェセンスケー - ブレズノ鉄道線)に向けて、孤立各線からそれぞれ山岳地帯を越えて短絡線を伸ばし相互に接続する「ゲメル短絡線群」(sk:Gemerské spojky)計画が策定され、一部は着工された。 ロジュニャヴァ市以南(ナダブラ鉄道停留場以南)がハンガリー領となったためベトリアル - プレシヴェツ間がMÁVに編入され、ドブシナー - ベトリアル鉄道線に短縮された当線では、ニジュナースラナー鉄道駅から西隣のシュチトゥニークメスト - スラヴォショウツェ鉄道線(MÁV分断前のプレシヴェツ - スラヴォショウツェ鉄道線)シュチトゥニーク鉄道駅に至る隧道5か所を含む20kmの短絡線が計画されたほか、かつてチェコスロバキア鉄道省が構想を持っていたドブシナーとジェジンキ間の新線建設も再度検討された。当線の短絡線計画はいずれも着工する前に終戦を迎え、元の国境が復活したため、計画は放棄された。
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ゲメル短絡線
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「ズヴォレン - コシツェ線」の記事における「ゲメル短絡線」の解説
スロバキア第一共和国(スロバキア国)が発足し域内のČSD線が同国運輸公共事業省所管の国営スロバキア鉄道(SŽ)に分割された直後の1939年3月17日、突如ハンガリー軍がスロバキアの再併合を目指して侵攻し(スロバキア・ハンガリー戦争)、ウィーン裁定によってスロバキア南部がハンガリーに割譲された。プレシヴェツ - ズヴォレン線はプレシヴェツ - ルチェネツ間がMÁVに編入され、ルチェネツ隣駅のトマーショウツェ鉄道駅がスロバキア側の国境駅になるとともに、プレシヴェツ鉄道駅起点のゲメル地方3支線で、起点方の南部区間がMÁVに分割された。 プレシヴェツ - ムラーニュ線(現・111 C) : イェルシャヴァ鉄道停留場(イェルシャヴァ市域、現存せず)以南がMÁVに編入されヒジュニアンスカーヴォダ(現ルベニーク) - ムラーニュ線 プレシヴェツ - スラヴォショウツェ線(現・111 B):クノヴァテプリツァ鉄道駅(クノヴァテプリツァ村域)以南がMÁVに編入されシュチクニーク - スラヴォショウツェ線 ドブシナー - プレシヴェツ線(現ドブシナー - ロジュニャヴァ線、111 A):ナダブラ鉄道停留場(ロジニャヴァ市域)以南がMÁVに編入されドブシナー - ベトリアル線 このほか当線に接続するイェセンスケー - ブレズノ線も南部のリマウスカーソボタ鉄道駅以南がMÁVに編入され、チェレンチャニ鉄道停留場以北がチェレンチャニ - ブレズノ線として残存した。 このうちチェレンチャニ - ブレズノ線はブレズノでチェルヴェナースカラ - バンスカービストリツァ線と接続していたため孤立は避けられたが、ゲメル地方3線区については、ハンガリー領となったプレシヴェツ以外にほかの国内鉄道線との接続を持たないため、いずれも山岳に囲まれた北部の残存区間が孤立線区となった。列車はハンガリー経由でしか入線することができなくなったため、住民生活や経済活動、行政面で混乱し、特にプレシヴェツ - スラヴォショウツェ線では、16世紀から操業を続けるスラヴォショウツェ製紙工場(Slavošovské papierne、現スラヴォショウツェ製紙株式会社)で原料供給及び製品輸送が行えなくなり、深刻な状況となった。 こうした事態を受けて運輸公共事業省は、各線から周囲の山岳を越える短絡線群「ゲメル短絡線群」(sk:Gemerské spojky)を建設して各線を横断的に接続し、さらにチェレンチャニ - ブレズノ線と接続することで、ブレズノ経由でバンスカービストリツァやズヴォレンに出るルートを確保する計画を立案した。チェレンチャニ - ブレズノ線側でも、チソヴェツ - ポフロンスカーポルホラ間にラック式の別線を建設して輸送力を強化することにした。 計画された短絡線は次の通りである。 チソヴェツ(チェレンチャニ - ブレズノ線) - レビューツァ(ヒジュニアンスカーヴォダ - ムラーニュ線)間 - 全長24km、隧道6か所を含む。着工したが未成。 ヒジュニアンスカーヴォダ(ヒジュニアンスカーヴォダ - ムラーニュ線) - スラヴォショウツェ(シュチクニーク - スラヴォショウツェ線)間 - 全長14km、隧道3か所を含む。着工したが未成。 シュチクニーク(シュチクニーク - スラヴォショウツェ線) - ニジュナースラナー(ドブシナー - ベトリアル線)間 - 全長20km、隧道5か所。未着工。 ドブシナー(ドブシナー - ベトリアル線) - ジェジンキ(マルゲツァニ - チェルヴェナースカラ線):1920年代にチェコスロバキア鉄道省が敷設を検討していた区間。計画のみ。 このほか、ルチェネツ起点のウチェカーチュ - ルチェネツ線(現・117 A)でもオパトーヴァプリルツェンツィ鉄道停留場(ルチェネツ市域)以南がMÁVに編入されたため、同線の国境駅ヴェリュカーヴェス鉄道停留場と本線の国境駅となったトマーショウツェ鉄道駅を結ぶ短絡線を建設し、1940年に運用を開始し、元の国境が復活したのちの1949年まで運用されたほか、同線コカヴァナドリマヴィツォウとチェレンチャニ - ブレズノ線リマウスカーバニャ間の短絡線も構想された。 ゲメル短絡線群は一部で着工し隧道や橋梁で完成したところもあったが、まもなく終戦を迎え元の国境が復活したため、計画は放棄された。現在も未成区間では遺構が残っており、自然遊歩道やサイクリングコースなどとして使用されている。
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