ゲメル短絡線とは? わかりやすく解説

ゲメル短絡線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 19:13 UTC 版)

ドブシナー - ロジュニャヴァ線」の記事における「ゲメル短絡線」の解説

ズヴォレン - コシツェ線#ゲメル短絡線」も参照 第一スロバキア共和国成立ČSD分割されスロバキア鉄道(SŽ ; Slovenské železnice)時代1939年3月ハンガリースロバキア侵攻による南部スロバキア割譲に伴い、プレシヴェツ - ズヴォレン - ウルートキ鉄道線大半にあたるプレシヴェツ - ルツェネツ間がMÁVに編入されたほか、プレシヴェツを起点とする当線およびプレシヴェツ - ムラーニュ鉄道線、プレシヴェツ - スラヴォショウツェ鉄道線のゲメル地方3線区線区南部それぞれMÁVに編入されたため、山岳囲まれたこれらのスロバキア国残存線区国内鉄道網から孤立する事態となったこのため中部横断線であるマルゲツァニ - ズヴォレン鉄道線(現・チェルヴェナースカラ - バンスカービストリツァ鉄道線およびマルゲツァニ - チェルヴェナースカラ鉄道線)や同線に接続する残存のリマウスカーソボタ - ブレズノ鉄道線(現イェセンスケー - ブレズノ鉄道線)に向けて孤立各線からそれぞれ山岳地帯越えて短絡線伸ばし相互に接続する「ゲメル短絡線群」(sk:Gemerské spojky)計画策定され一部着工された。 ロジュニャヴァ市以南(ナダブラ鉄道停留場以南)がハンガリーとなったためベトリアル - プレシヴェツ間がMÁVに編入され、ドブシナー - ベトリアル鉄道線短縮された当線では、ニジュナースラナー鉄道駅から西隣のシュチトゥニークメスト - スラヴォショウツェ鉄道線(MÁV分断前のプレシヴェツ - スラヴォショウツェ鉄道線)シュチトゥニーク鉄道駅に至る隧道5か所を含む20kmの短絡線計画されたほか、かつてチェコスロバキア鉄道省構想持っていたドブシナーとジェジンキ間の新線建設再度検討された。当線の短絡線計画はいずれ着工する前に終戦迎え、元の国境復活したため、計画放棄された。

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ゲメル短絡線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:20 UTC 版)

ズヴォレン - コシツェ線」の記事における「ゲメル短絡線」の解説

スロバキア第一共和国スロバキア国)が発足し域内ČSD線が同国運輸公共事業所管国営スロバキア鉄道(SŽ)に分割され直後1939年3月17日突如ハンガリー軍スロバキアの再併合目指し侵攻しスロバキア・ハンガリー戦争)、ウィーン裁定によってスロバキア南部ハンガリー割譲された。プレシヴェツ - ズヴォレン線はプレシヴェツ - ルチェネツ間がMÁVに編入され、ルチェネツ隣駅のトマーショウツェ鉄道駅スロバキア側の国境駅になるとともに、プレシヴェツ鉄道駅起点のゲメル地方3支線で、起点方の南部区間がMÁVに分割された。 プレシヴェツ - ムラーニュ線(現・111 C) : イェルシャヴァ鉄道停留場(イェルシャヴァ市域現存せず)以南がMÁVに編入されヒジュニアンスカーヴォダ(現ルベニーク) - ムラーニュ線 プレシヴェツ - スラヴォショウツェ線(現・111 B):クノヴァテプリツァ鉄道駅(クノヴァテプリツァ村域以南がMÁVに編入されシュチクニーク - スラヴォショウツェ線 ドブシナー - プレシヴェツ線(現ドブシナー - ロジュニャヴァ線111 A):ナダブラ鉄道停留場(ロジニャヴァ市域以南がMÁVに編入されドブシナー - ベトリアル線 このほか当線に接続するイェセンスケー - ブレズノ線も南部のリマウスカーソボタ鉄道駅以南がMÁVに編入され、チェレンチャニ鉄道停留場以北がチェレンチャニ - ブレズノ線として残存した。 このうちチェレンチャニ - ブレズノ線はブレズノでチェルヴェナースカラ - バンスカービストリツァ線と接続していたため孤立避けられたが、ゲメル地方3線区については、ハンガリーとなったプレシヴェツ以外にほかの国内鉄道線との接続持たないため、いずれも山岳囲まれ北部残存区間孤立線区となった列車ハンガリー経由でしか入線することができなくなったため、住民生活経済活動行政面で混乱し、特にプレシヴェツ - スラヴォショウツェ線では、16世紀から操業続けるスラヴォショウツェ製紙工場(Slavošovské papierne、現スラヴォショウツェ製紙株会社)で原料供給及び製品輸送が行なくなり深刻な状況となったこうした事態受けて運輸公共事業省は、各線から周囲山岳越え短絡線群「ゲメル短絡線群」(sk:Gemerské spojky)を建設して各線を横断的に接続し、さらにチェレンチャニ - ブレズノ線と接続することで、ブレズノ経由バンスカービストリツァズヴォレンに出るルート確保する計画立案した。チェレンチャニ - ブレズノ線側でも、チソヴェツ - ポフロンスカーポルホラ間にラック式の別線建設して輸送力強化することにした。 計画され短絡線次の通りである。 チソヴェツ(チェレンチャニ - ブレズノ線) - レビューツァ(ヒジュニアンスカーヴォダ - ムラーニュ線)間 - 全長24km、隧道6か所を含む。着工した未成。 ヒジュニアンスカーヴォダ(ヒジュニアンスカーヴォダ - ムラーニュ線) - スラヴォショウツェ(シュチクニーク - スラヴォショウツェ線)間 - 全長14km、隧道3か所を含む。着工した未成。 シュチクニーク(シュチクニーク - スラヴォショウツェ線) - ニジュナースラナー(ドブシナー - ベトリアル線)間 - 全長20km、隧道5か所。未着工。 ドブシナー(ドブシナー - ベトリアル線) - ジェジンキ(マルゲツァニ - チェルヴェナースカラ線):1920年代チェコスロバキア鉄道省敷設検討していた区間計画のみ。 このほか、ルチェネツ起点のウチェカーチュ - ルチェネツ線(現・117 A)でもオパトーヴァプリルツェンツィ鉄道停留場(ルチェネツ市域以南がMÁVに編入されたため、同線の国境駅ヴェリュカーヴェス鉄道停留場本線国境となったトマーショウツェ鉄道駅を結ぶ短絡線建設し1940年運用開始し、元の国境復活したのちの1949年まで運用されたほか、同線コカヴァナドリマヴィツォウとチェレンチャニ - ブレズノ線リマウスカーバニャ間の短絡線構想された。 ゲメル短絡線群は一部着工し隧道橋梁完成したところもあったが、まもなく終戦迎え元の国境復活したため、計画放棄された。現在も未成区間では遺構残っており、自然遊歩道サイクリングコースなどとして使用されている。

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