住民生活
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「サン=ディディエ=アン=ヴレ」の記事における「住民生活」の解説
最近、サン=ディディエの行政当局は村に監視カメラを設置することを決めた。これについて住民の一部が懸念を抱いている。
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住民生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 21:33 UTC 版)
アワビ、サザエ、ワカメ、テングサなどが採集される「海女の島」として知られる。また対馬海流と大陸棚の影響で好漁場となっており、カニやタラなどの漁も行われている。海女は舳倉島だけではなく、島と輪島港の中間にある「嫁ぐり礁」(よめぐりしょう)でも素潜りをした。海女は昭和初期から200人前後で推移していたが、2013年の時点では高齢化により70人ほどにまで減少しているという。 かつては夏季の漁期(6月-10月)のみ、対岸の輪島市海士町・鳳至町(ふげしまち)から漁民が季節移住してくる島で、昭和30年代までは定住者はほとんどいなかったが、1957年に離島振興対策実施地域の指定を受けてインフラ環境が整備されたことで定住者が増えた。この島が、本土側に位置する地域である輪島市海士町の一部となっているのはこのような歴史的背景に由来し、郵便番号も海士町の本土側と同じ番号が割り振られている。 現在は少子化・過疎化が進み、鳳至小学校舳倉島分校・上野台中学校舳倉島分校はそれぞれ通学する児童・生徒がいなくなったため休校中となっている。1970年に開設された保育所も閉所され、2009年度からは海士町自治会の託児所が保育を担っている。 2000年国勢調査によれば164人がこの島に住所を置いていたが、2010年国勢調査では110人に減少している(ただし夏の漁期には一時的に人口が増加する)。2013年時点の資料によれば、島には150軒ほどの住宅があるが、本土側の海士町に本宅があるケースが多く、実際に島で越冬しているのは20~30人ほどという。 島には診療所(市立輪島病院舳倉診療所)がある。診療所で対処できない患者は漁船かヘリコプターで輪島まで搬送される。
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