分断された女性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 16:58 UTC 版)
幼い時に受けたチャイルド・セクシャル・アビューズ(幼児への性的虐待)により、「私はダメだ、穢れてる」「私って邪悪な存在なんだ」と思い込み、「邪悪な私でも生きてていいんだと思えるような生き方をみつけよう」ともがき続ける。その中で、泣いているベトナムの子供に自分の姿を見て、自己救済としてのベトナム救援活動を始めている。が、ヴィルヘルム・ライヒの『生徒文化の革命』に感銘を受け、「性に対して否定的な考え方を持ってると、権威をありがたがって、自分の欲望を恐れる、のびやかさのない人間になる。管理されやすい人たちばっかりの世の中ができてしまうんだよ」と思い、心に光がさす。それが田中の一番有名なビラ「便所からの解放」につながっていく。 私たち女は本来精神的な存在であるとともに、性的な存在である。それなのに男の意識を通じて、母(子どもを産ませる対象)と便所(性処理に都合のいい対象)とに引き裂かれてきた。そう、私有財産制下の秩序は、女をそのように抑圧することで保たれてきたのだ 田中美津「便所からの解放」 — 『明日は生きていないかもしれない…という自由』p5 ここで田中は、「女が女として生きる」ことができない、女を分断する男性社会を告発している。 しかし田中は、「女だけが抑圧されている」といった被害者意識であるわけではない。男性も同様の抑圧の中にあるとしている。(2015年子宮筋腫・内膜症体験者の会) 一方で「中絶の自由」とともに「生める社会を!生みたい社会を!」と訴える(2017年11月15日講演)とともに、女性側も自ら<川へ行ってしまう自分>(=「おじいさんは山へ芝刈りにおばあさんは川へ洗濯へ」を社会的役割の強制の例えとしている)も変えていかないといけないとしている。
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