分断と再統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 17:20 UTC 版)
「国会議事堂 (ドイツ)」の記事における「分断と再統合」の解説
第二次世界大戦後ドイツはドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)に分断された。西ドイツではライン河畔の臨時首都ボンに「ドイツ連邦議会議場(ドイツ語版)」が建設され、連邦議会はそちらへ移転した。一方この地域一帯は西ベルリン地区に属したため、東ドイツ人民議会もここを使用できず、ベルリンの旧国会議事堂は単なる廃墟となった。1956年、この建物を巡る国会審議ではこの建物は取り壊されないことになったが、再建されることもなかった。1964年、建築設計競技により、パウル・バウムガルテンの設計で、内部が利用できるよう部分修復が行われたが、実際に連邦議会が使用する案は東側を刺激するとの理由で実現しなかった(東ドイツは、西ベルリンを含むベルリン市全体が首都であると主張していたため)。以後、ドイツ再統一までドイツの歴史を問う内容の常設展示の会場として主に利用されていた。 1990年10月3日、ドイツ再統一の式典は修復前の旧国会議事堂で開催され、東西両国首脳らが集まり夜には花火も上がるなど一大行事となった。翌日には統一ドイツ議会がここで開催された。 統一後の首都および連邦議会の設置場所等をめぐる激しい議論はあったが、ベルリンに首都機能を戻すことになったため、ベルリンの旧国会議事堂を連邦議会の議事堂として新たに利用することが決まり、大規模な修復に着手し1999年に完成した。
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