インド分断の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 16:02 UTC 版)
そもそも現在のインドとパキスタンの分離独立は初めから予定されていたことではない。独立運動の末期になるまでムスリム・ヒンドゥーの間に確執はあったが、国家分裂には否定的態度をとり続けていた。しかしムスリム側の指導者ジンナーは、統一インドが独立した場合、ムスリムは少数派としてヒンドゥーに抑圧されるとの意見を持っていたため、ムスリムの多い西北インドおよびベンガル州東部を独自の国家として分離独立させることを強く主張した。 独立運動の最高指導者マハトマ・ガンディーは、インド分断に反対の姿勢を示しており、自らもムスリムとの融和をヒンドゥー側に訴えたが聞き入れられず、インド分断後の1948年にムスリム排斥主義者の手で暗殺されている。最終的にジンナーの主張がムスリムの支持を集め、ムスリムとヒンドゥーそれぞれのための国家が別個に独立することとなった。
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