分村への経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 21:23 UTC 版)
「一ノ宮村 (石川県石川郡)」の記事における「分村への経緯」の解説
旧河内村は直海谷川と手取川の合流点にあり、逆Y字型の3辺に集落が集まっていた。すなわち、「直海谷(のみだに・現在の口直海 - 内尾)」「三箇(さんか・現在の吉岡・江津・福岡)」とのちに一ノ宮村となる「中島以北」の3地区である。この3地区は、産業構造の違いもあって地区意識が強かったが、終戦まではそれなりに仲良く暮らしていた。 しかし終戦後、民主化に伴い教育問題・農協問題などで直海谷・三箇と中島以北がきびしく対立するようになり、ついに1951年、中島以北の分村が村議会の全員一致で可決され、同年4月1日をもって一ノ宮村が誕生することとなった。
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