分村合併騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 01:36 UTC 版)
「大安寺村 (福井県)」の記事における「分村合併騒動」の解説
1957年(昭和32年)4月1日、大安寺村は北部が川西村、南部が福井市に分かれそれぞれ編入した。大安寺村は地勢の関係で北部は農家が多く、南部は福井市に勤務する住民が多い関係で、合併話がでた際、北部は川西村へ、南部は福井市への編入をそれぞれ主張していた。55年の村長選挙では福井派が当選したものの、議会は福井派7名、川西派5名となり、村を二分する対立へと発展した。村当局と福井派は全村の福井市編入を主張し、川西派は分村してでも川西村へ編入したいと主張した。結果、村民の対立感情は日増しに高まり、日用品の購入もそれぞれの派の商店で購入するようになった。ついには呪いのワラ人形までが登場し、村内は不穏な雰囲気に包まれた。村当局の妨害がありながらも県選挙管理委員会の代執行住民投票の結果、大安寺村は分村の上、川西村と福井市にそれぞれ編入された。
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