分村合併運動(2003-2004)
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「美杉町太郎生」の記事における「分村合併運動(2003-2004)」の解説
太郎生地区は北に接する名張市と生活圏を同じくしていたため、美杉村が津市などとの合併を目指して津地区合併協議会に加盟すると、「太郎生の明日を考える会」が名張市との合併を目指して署名運動を開始、2003年(平成15年)5月に当時の太郎生地区の16歳以上の住民の8割程度に相当する896人分の署名を集め、6月9日に村長と村議会議長へ提出した。美杉村議会は6月16日に分村の請願を賛成2、反対9で不採択とした。これに対し考える会のメンバーは分村合併を行うように指導を求めて7月28日に三重県知事宛に要望書を提出、8月12日には津地区合併協議会へ合併対象から太郎生地区を除外することを求める要望書を提出した。村は10月17日に市町村合併に係る太郎生地区懇談会を開催し、約200人が詰めかけ深夜まで議論は続いた。この時村側は「美杉は一つ」を掲げ対話姿勢を示さなかったため、名張市との合併を望む住民は怒りをあらわにした。 2004年(平成16年)3月18日に考える会は名張市との合併協議会の設置を求める請求書を村長に提出、同時に考える会を支援する名張市側の「明日の郷土を考える会」も名張市長へ太郎生地区との合併を求める提言書を提出した。4月20日、元三重県議会議員らが発起人となって「太郎生との合併を推める名張市民の会」を設立、4月23日には考える会が太郎生地区と名張市の合併協議会設立を求め、1,722人分の署名を添えて直接請求を行った。一方、太郎生地区には子供を従来通り美杉中学校へ通わせたいと願う保護者らを中心に名張市との合併に反対する住民もおり、5月26日に村長と村議会議長へ名張市と合併をしないよう要望書を提出した。この間、村長の指示で村職員が直接請求の署名に参加した村議会議員宅を訪問し、撤回するよう求めていたことが発覚している。 直接請求を受けて名張市長の亀井利克は法定合併協議会設置を市議会に付議することを6月2日に美杉村長の結城敏に回答し、事実上美杉村議会の判断を名張市議会が追認する姿勢を示した。そして6月21日に美杉村議会は名張市との合併を求めた直接請求を賛成5、反対6という僅差で否決し、翌6月22日に名張市議会も合併協議会設置案を賛成8、反対11で否決した。 名張市との合併を目指す住民ら(考える会とは別)は、あらかじめ議会で否決された時に備えて合併の可否を問う住民投票条例の制定に向けた直接請求の準備を進めており、8月16日に242人分の署名を添えて直接請求を行った。この請求は9月14日に村議会に付議され、賛成5、反対6で否決された。こうして11月8日に津地区合併協議会で合併協定書の調印式が行われ、2006年(平成18年)1月1日に新しい津市が発足した。
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