地上区間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:48 UTC 版)
北千住 - 南千住付近は高架の地上区間であるが、当初は地下式とする案もあった。しかし、当時の北千住駅には国鉄・東武の貨物側線が多数あり、軟弱地盤地帯でこれらの線路を仮受けして掘削することは、難工事になることが予想された。また隅田川の横断には橋梁方式か地下方式があるが、地下方式には多額の費用を要するが、北千住 - 南千住間では国鉄から地上線用地を取得することができたため、経済的に有利な橋梁方式となった。 南千住駅付近には日光街道と国鉄隅田川貨物線の平面交差(踏切)があり、将来的に東京都は道路を地下化して立体交差とする計画があり、日比谷線を地下方式とする場合には地下8 m以下とすることが求められた。この付近も軟弱地盤地帯であり、さらに隅田川貨物駅の側線群の地下を掘削することは技術的に困難であると予想された。これら理由から、北千住 - 南千住間は地上区間とし、日光街道を超える付近までは高架線とする現在の構造となった。 日比谷線の隅田川橋梁は、常磐線隅田川橋梁のすぐ下流にあり、営団地下鉄として初めての本格的な橋梁工事であった。橋梁は支間65.5 mの2径間連続複線下路ワーレントラス橋で、製作は横河橋梁製作所(現・横河ブリッジ)、延長131 m・重量は約390 tである。
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地上区間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 12:36 UTC 版)
本路線の地上区間は計3か所ある。総計は2177.26 m(約2.2 km)である。 茗荷谷 - 後楽園付近:1797.02 m 茗荷谷駅 - 安藤坂道路のトンネル(正式なトンネル名ではない)入口までの延長1,133 m。途中の安藤坂道路と立体交差する箇所はトンネル構造(延長369 m)である。安藤坂道路のトンネル出口 - 後楽園駅 - 本郷三丁目駅に向かう延長664.02 m。 地上区間においては踏切とはせず、立体交差を原則としたことから、茗荷谷駅 - 安藤坂道路のトンネルまで、約1 kmの区間にも関わらず7ヵ所もの跨線橋があり、小石川車両基地付近は、築堤構造となることから交差道路4ヵ所は道路函渠(どうろかんきょ)構造である。 この付近を地上に建設したのは、周辺の地形を考慮したこと、建設費用の削減、当時の後楽園駅には地下鉄5号線(東西線)が通る計画があり、この関係で駅位置が制約されたためである。計画変更で、地下鉄5号線(→後に地下鉄6号線(都営三田線))は道路下に建設することとなり、問題はなくなった。 御茶ノ水駅付近神田川橋梁と御茶ノ水駅中央・総武線跨線橋:122.24 m(神田川橋梁付近82.1 m・御茶ノ水駅跨線橋約40.1 m) 御茶ノ水駅付近で神田川を橋梁で渡る。この区間は82.1 mで、神田川橋梁は横河橋梁製作所(現:横河ブリッジ)製、延長は36.0 mである。曲線半径180 mの区間にあり、淡路町駅方面に向かって下り18 ‰の勾配区間に位置することから、左右の橋台で65 cmの高低差がある。 中央快速線並びに中央・総武緩行線御茶ノ水駅の地下を横切るが、丸ノ内線建設史(上巻)によれば、この区間(延長約40.1 m)は地下区間ではなく、地上区間(跨線橋、鉄道同士の立体交差)となっている。丸ノ内線が地下を通過するにあたり、中央快速線はPC桁橋、中央・総武緩行線はコンクリートの壁式ラーメン構造で軌道を支持してから、丸ノ内線のトンネルを構築している。 四ツ谷駅付近258.0 m 赤坂見附駅 - 四谷見附(四ツ谷)間は、戦前に計画・太平洋戦争中に営団が建設に着手しており、国鉄中央線の地下を通す計画であったが、戦局の悪化に伴い中止となっていた(沿革の項目を参照)。戦前の計画では四ツ谷駅を地下で通すことから、その先の新宿方面は当時の防空対策(空襲対策)もあって地下深くを通る計画で、建設費用の大幅な増加が見込まれた。 しかし、戦後の計画では四ツ谷駅を地上(国鉄中央線の上を跨ぐ)で通すことで、新宿方面の地下トンネルは浅い構造となり、建設費用を大幅に節約することに繋がった。ただし、赤坂見附駅から四ツ谷駅に向かって、上り35 ‰の急勾配が約650 mにわたり連続することとなった。後年の南北線建設時、連絡通路の新設に伴って、新宿方面の地上区間には人工地盤が設けられている。
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地上区間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 14:50 UTC 版)
志村坂上駅より北西側、西高島平駅までの区間は地上高架線となっていて、三田線は都営地下鉄の路線で最長距離の地上区間 (5.2 km) を持つ。志村坂上駅 - 志村三丁目駅 - 蓮根駅 - 西台駅の間ではS字カーブが連続するが、これは当路線の計画段階において、志村地域のルートが幾度も変更された名残りである。 1962年(昭和37年)に都市交通審議会答申第6号で示された北側の終端「志村」へ至るルートは、当時営業中の都電志村線(41系統)を踏襲する形で、現在の志村坂上駅からそのまま中山道を北上し、板橋区長後二丁目(現・坂下二丁目)で新河岸川に架かる志村橋の手前へと至るものであった。ところが、その後埼玉県方面への延伸を検討した際、志村坂上から北上して地下方式のまま河川をくぐり抜けるためには勾配が急になり過ぎることと、新河岸川・荒川の河川下工事が地質上困難で莫大な費用が掛かることが判明した。このため、志村坂上以北は地上に高架線を建設して、河川を橋梁で越えるように計画変更を目論んだが、中山道沿いには支障物件が多かったため、ルートを西側に変更して、現在の志村三丁目駅 - 蓮根駅を経由し、そのまま北上して蓮根三丁目の蓮根橋手前へ至り、そこに「志村駅」を設置する案が策定された。 その後1964年(昭和39年)に「志村駅」における6号線と東武東上線の相互乗り入れ計画が盛り込まれ、翌1965年(昭和40年)には板橋区土地区画整理事業により、旧徳丸ヶ原水田地区に大規模団地を造成する方針が決定した。これにより増加が見込まれる地域住民のアクセスの便を考慮し、また先述の計画変更で取り止めとなった馬込検車場使用計画の代替として、公団住宅蓮根団地の西側、志村西台町(現・高島平一丁目付近)に建設を予定していた車庫へ向かう引込線用地の一部を本線に転用し、車庫建設地を同町内北部(現・高島平九丁目に位置する志村車両検修場)に再度変更した上で、西台駅 - 高島平駅に至る現在のルートを形成することになった。以上の経緯により、地上区間において連続する急カーブが設けられることになった。 S字カーブ区間の最小曲線半径は、志村坂上 - 志村三丁目間が298メートル(制限速度60 km/h)、志村三丁目 - 蓮根間が211メートル(制限速度50 km/h)、蓮根 - 西台間が162メートル(制限速度40 km/h)となっている。また1976年(昭和51年)5月6日開業の高島平 - 西高島平駅間は一部を除きスラブ軌道となっている。
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