テキサス軍
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「アルバート・ジョンストン」の記事における「テキサス軍」の解説
1834年4月、ジョンストンはテキサスで農業を始めたが、1836年にメキシコ共和国に対して独立戦争を起こしたテキサス共和国軍の兵卒になった。1ヶ月後に少佐に昇進し、サミュエル・ヒューストン将軍の副官となった。8月5日には、テキサス共和国軍の大佐として総務局長となった。1837年1月31日、テキサス軍を指揮する上級准将となった。 1837年2月7日、ジョンストンはテキサス軍の指揮権を争ってフェリックス・ハストン准将と決闘した。ジョンストンはハストンに向けて発砲することを拒み、このときに骨盤を負傷した後で、その地位を失った。テキサス共和国の第二代大統領ミラボー・B・ラマーが1838年12月22日にジョンストンを陸軍長官に指名した。ジョンストンはメキシコからの侵略に対抗してテキサス国境の防御を手配し、1839年にはテキサス北部でインディアンに対する作戦を指揮した。1840年2月に除隊してケンタッキー州に戻り、1843年にはエリザ・グリフィンと結婚した。夫妻はテキサスのブラゾリア郡にある大規模なプランテーションに入り、これをチャイナグラブと名付けた。
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