テキサス遊説の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:11 UTC 版)
「ケネディ大統領暗殺事件」の記事における「テキサス遊説の背景」の解説
ケネディ大統領が1963年11月下旬のこの時期にテキサス州を遊説することにしたのは以下の3つの理由からであった。 翌1964年11月の大統領選挙に向けて民主党選挙戦資金の寄付を求めるため。 その大統領選挙での再選へ向けての選挙活動の開始。南部諸州は以前は「民主党の金城湯池」と言われる牙城であったが、前年とこの年の夏にアフリカ系住民に対する人種差別について強硬な姿勢を取ったケネディに対する反感が渦巻き、翌年の大統領選挙で共和党から立候補が確実視されていた超保守派のゴールドウォーター に南部諸州の全てで敗北するとの予想が秋頃から民主党にはあった。そこで南部の中で唯一民主党が勝利する可能性があるのがテキサス州であった。選挙人数も南部で最大の州であり、ジョンソン副大統領の地元でもあり、最初のテコ入れをテキサス州にして、最低でもテキサスだけは確保するつもりであった。 前回1960年の大統領選挙では、ジョンソンの地元であるのにケネディ-ジョンソン組がテキサス州では辛うじて勝っただけで(ダラスでは共和党に敗北した)、しかもテキサス州の民主党内では、保守的なコナリー知事と、ケネディと親しいヤーボロー上院議員が対立しており、このテキサスの民主党有力メンバーとの関係を修復させる狙いもあった。 行程は11月21日(木)にホワイトハウスを発ち、大統領専用機でサンアントニオからヒューストンを経てフォートワースに夜到着し、翌11月22日金曜日の朝にフォートワースからダラス、最後はオースティンに行き、そしてオースティン西方のジョンソン牧場でジョンソン副大統領夫妻と週末を過ごす予定であった。
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