内湖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:53 UTC 版)
「入江干拓」および「大中湖」も参照 琵琶湖の周囲には、琵琶湖の一部が土砂の堆積などにより切り離されてできた内湖(ないこ)と呼ばれる潟湖がある。内湖は、琵琶湖とは水路で結ばれているため水位変動の影響を受ける。以下で述べるように20世紀に多くの内湖が消失し、2013年現在残されているのは、近江八幡市の西の湖をはじめとする総面積4.25平方キロメートルの23内湖(ないこ)のみである。 昭和初期ごろまで、琵琶湖の周囲には大小40あまり、総面積29平方キロメートル(1940年時点)の内湖(ないこ)があった。これらの内湖(ないこ)は、繁茂するヨシなどにより河川より流入する水を浄化する機能や、魚類の産卵・生育の場、あるいは堆積した泥による肥料の提供といった役割を担ってきた。また後述するように、今津や堅田といった津の発展において船溜まりとしての役割を果たしたほか、安土城や大溝城の立地にも影響を与えた。 近代に入ると、後述する1905年の南郷洗堰の築造や1943年から治水・利水を目的として開始された淀川第1期河水統制事業の影響で琵琶湖の平均水位が10センチメートルほど下がたっため、内湖(ないこ)の水深も浅くなり、内湖(ないこ)漁業は衰退した。さらに第二次世界大戦後には、人口増加・食糧不足に対応するための農地開発として16箇所、総面積25平方キロメートルあまりの内湖(ないこ)が干拓され消失した。なお、1985年 - 1990年にかけては、琵琶湖総合開発事業による湖周道路の敷設により琵琶湖の一部が切り離され、内湖(ないこ)化した例もある。また、長浜市において2001年より干拓農地の一部を湛水しての早崎内湖(ないこ)ビオトープ実験がおこなわれるなど、内湖(ないこ)再生の試みも行われている。
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