再生の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 23:36 UTC 版)
パシッグ川再生のための努力は1970年代にも行われたことがあった。1973年にはパシッグ川の保全・美化・改善に関する先駆的な法律が制定され、パシッグ川開発(PRDP)の活動を監督するパシッグ川開発委員会(PRDC)が設置された。1975年にマニラ首都圏知事に就任したイメルダ・マルコス(第10代大統領フェルディナンド・マルコスの妻)は、香港のアバディーン地区のように浮遊カジノやレストランなどを建設し、ヴェネツィアのようにゴンドラを運航させて観光客を誘致する計画を立てた。岸壁は塗装されて川岸には木が植えられたが、すぐにこの計画は立ち消えとなった。 1991年にはフィリピン環境・天然資源省が、デンマーク国際開発庁(DANIDA)から資金援助を、デンマークのコンサルタント会社であるカール・ブロ・インターナショナル社から技術的支援を得て、汚染の度合いや状況の調査を行った。この調査によると、パシッグ川の汚染の45%は産業汚染であり、流域に位置する2,000以上の工場のうち315工場が主要な汚染源、特に繊維業と食品製造業が最大の汚染源であるとされた。また、パシッグ川の流域には440万人が住んでいるが、排水を処理する下水道システムの影響下にある住民はわずか12%(60万人)、残りの88%(320万人)が出す廃棄物は未処理のままパシッグ川に流れ込んでいることが分かった。政府機関である首都圏水道・下水道システム(MWSS)は資金不足により身動きが取れず、また下水道管理よりも水道供給に高い優先度を与えなければならない状況だった。調査後にはフィリピン環境・天然資源省を主要機関、デンマーク国際開発援助を調整機関として、パシッグ川再生プログラム(PRRP)が立案された。 1999年にはパシッグ川再生プログラムに代わってパシッグ川再生委員会(PRRC)を新たな活動組織とする政令が施行され、廃棄物や不法占拠者の強制移動の管理など機関の権限が拡張された。2010年、テレビ局のABS-CBNとパシッグ川再生委員会は「パシッグ川のために走る」というチャリティマラソンを開始し、毎年10月にこのイベントが開催されている。
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