句会・俳句
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:20 UTC 版)
辺見じゅんは、俳句には春夏秋冬の季語があり、春は故郷の山や川などの景色、夏は蛍狩りや盆祭りなどで日本の肉親たちを連想することから、日本語を忘れず、帰国への希望を失わない手段として山本が俳句を用いたことを評価している。また辺見が出席者たちに取材したところによれば、アムール句会は単なる娯楽というよりも生きる希望そのものであり、帰国への希望に直結していたという。 前述の柳田邦男は、山本の作った俳句や詩について以下の通り評価している。 山本の句や詩には、いのちの叫びとでも言うべき凄みがある。プロの俳人でも詩人でもなかったが、やはり限界状況の中で生き抜こうとしている人間、いつも死を意識しながら生き抜こうとしている人間から湧き出してくる言葉は血のしたたるような臭いがまつわりついている。 — 柳田邦男「海なりの詩を掬って」、柳田 2013, p. 116より引用 また柳田は、詩歌という韻を持つ言語表現による自己確認が、同志たちとの相互確認の営みとあいまいって、劣悪な環境下での限界条件において、俘虜たちが生きようとする力と希望を持ち続けたことの源泉となったとも語っている。 毎日新聞社大阪本社論説委員である渡辺悟は、厳寒のシベリアの環境下で日本の子供たちを想う山本の句を引き、ギリギリのユーモアに俳句の力、人間の力が凝縮されていると評価している。 アムール句会の出席者の1人は山本に、歌人・前田夕暮の代表歌「木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな」を勧められ、これを暗唱するうちに帰国後に結婚式を挙げようと決心し、実際に帰国後に結婚に至っている。
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