勢力拡大の契機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 14:46 UTC 版)
石井式部大輔越後守忠國の嫡男・ 式部大輔忠保の代には、本拠地を小城千葉城下の「石井屋敷」から領地である佐嘉郡与賀庄飯盛村に移し、村内の飯盛城に入って、城内に居館を構えた。これが契機となって、水ヶ江城主・龍造寺氏、隣村本庄村の土豪・鍋島氏と地縁・血縁による繋がりを生じ、戦国時代に石井氏が飛躍する足掛かりを築くことになった。また、一族を挙げて、飯盛村を中心に開墾を進め、佐賀平野南部の肥沃な穀倉地帯にある飯盛村一帯と、今津や相応津といった有明海に通じる津(河港)を支配し、豊かな財力と武力を築いた。 その頃、主家である千葉氏は内紛によりかつての威勢を失い 、佐賀平野南部に割拠する土豪・地侍に、旗頭としてその支持を得た国人・龍造寺氏が台頭してくる。忠保の嫡男・駿河守忠義の頃には、水ヶ江城主の龍造寺康家・家兼父子との連携を深めていった。鍋島氏とともに龍造寺氏を盟主に擁して、後に戦国大名・龍造寺氏の家臣団の中核をなす「水ヶ江譜代」を形成することになる。
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