佐賀郡
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 03:08 UTC 版)
注記
- ^ 肥前の国学者糸山貞幹は江北町佐留志の堤尾山と比定したが、現在の場所は不明。井上通泰は杵島郡東部の山と推定した。
- ^ 井上通泰の『肥前國風土記新考』では、四阿屋神社祠官三橋真国の話として九千部山に比定する。また糸山貞幹の『肥前旧事』では、みやき町中原の綾部山を草山ともいい、その傍を横山と呼ぶという。
- ^ 一説では、川の氾濫を指す。
- ^ 天皇に恭順しない土着の豪傑を意味する蔑称。
- ^ 佐嘉郡衙は特定されていないが、肥前国府が大和町久池井に所在したことからその付近にあったのではないかという説がある。
- ^ 嘉瀬川上流の呼称。
- ^ 記載は新戸村。
- ^ 記載は諸富津。
- ^ 西魚町・八丁馬場に分かれて記載。
- ^ a b 記載なし。
- ^ 記載は神浦村。
- ^ 記載は相応村。
- ^ 記載は厘外村(40石余)。
- ^ 柳町の枝町。本項では町数に数えない。
- ^ 高木町の枝町。本項では町数に数えない。
- ^ 呉服町の枝町。本項では町数に数えない。
- ^ a b 中町の枝町。本項では町数に数えない。
- ^ a b 水ヶ江町に編入。
- ^ a b 与賀町に編入。
- ^ 東田代町に編入。
出典
- ^ a b c d 『佐賀市史』第1巻(1977)、273-275頁
- ^ 『佐賀市史』第3巻(1978)、61頁
- ^ a b 『佐賀市史』第1巻(1977)、299頁
- ^ a b 東与賀町史編纂委員会 編『東与賀町史』東与賀町、1982年11月3日、168-170頁。全国書誌番号:83010269。
- ^ 吉田茂樹『図解雑学 日本の地名』ナツメ社、2005年、218-219頁。ISBN 4-8163-3869-1。
- ^ 『古代地名語源辞典』、p.146「さか」(佐嘉、佐香、佐賀、佐加、佐我)、p.168「すか」
- ^ 『古代地名語源辞典』、p.146「さかと」(尺度、坂門)、p.146「さかひと」(酒人)、p.147「さかべ」(酒部)、p.147「さかゐ」(酒井、酒甘)
- ^ a b c d e f g h 『佐賀市史』第1巻(1977)、276-283頁
- ^ 記載は早津江村(92石余)。
- ^ “No.95 長崎県佐賀郡長中山平四郎死去”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 公文録・明治十二年・第百七十五巻・明治十二年一月~三月・官員. 太政官 (1879年3月). 2024年3月3日閲覧。
- ^ 『佐賀市史』第3巻(1978)、378-380頁
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