蓮池県とは? わかりやすく解説

蓮池藩

(蓮池県 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 14:16 UTC 版)

蓮池藩(はすのいけはん)は、佐賀藩支藩。藩主家は蓮池鍋島家


  1. ^ 「佐賀県近世史料」第2編(支藩編)第3巻を刊行しました~蓮池藩に関する史料集の第一弾~”. 佐賀県 (2023年4月27日). 2023年7月11日閲覧。
  2. ^ 塩田津 / 佐賀県 -【JAPAN 47 GO】”. JAPAN 47 GO (2023年5月25日). 2023年7月11日閲覧。


「蓮池藩」の続きの解説一覧

蓮池県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 19:25 UTC 版)

蓮池町」の記事における「蓮池県」の解説

明治4年7月14日1871年8月29日)の廃藩置県では、旧蓮池藩全域をもって蓮池県(はすいけけん、はすのいけけん)が定められた。県庁蓮池城にある旧藩庁にそのまま置かれた。県域は、杵島郡8藤津郡13松浦郡1佐賀郡2神埼郡10から構成されていた。『藩制一覧によれば当時の県の人口31,349であった。 4ヶ月後の同年11月14日1871年12月25日)に全国の県の統廃合が行われた。蓮池県は、旧佐賀藩支藩であった小城県(旧小城藩)・鹿島県(旧鹿島藩)と、旧唐津藩唐津県とともに伊万里県に統合となった。さらに翌年伊万里県は佐賀県改称した明治7年1874年)には佐賀の乱起きた。旧蓮池藩藩士たちは、反乱軍に加わるべきかどうか意見分かれ江藤新平島義勇面会した両者とも、要衝である蓮池絶対に乱に加わる必要がある主張しさもなくば蓮池一帯焦土と化す強硬な態度出たこのため蓮池軍勢反乱加担することになったが、蓮池の隊は、佐賀城脱出する政府軍鎮台部隊)を友軍誤認して見過ごしてしまい、政府軍によるへの攻撃ゆるしてしまった。戦乱終盤には蓮池架かる巡って激し戦闘起きており(境原戦い参照)、そのは「鎮台」と呼ばれている。まもなく乱が鎮圧され蓮池軍勢解散したこの間蓮池では10名の死者出したこのあと佐賀県解体されてほぼ全域長崎県編入された。明治16年1883年になって、旧佐賀県一帯あらため長崎県から分割され現在の佐賀県となった

※この「蓮池県」の解説は、「蓮池町」の解説の一部です。
「蓮池県」を含む「蓮池町」の記事については、「蓮池町」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「蓮池県」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蓮池県」の関連用語

蓮池県のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蓮池県のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蓮池藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの蓮池町 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS