蓮池藩の成立とは? わかりやすく解説

蓮池藩の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 19:25 UTC 版)

蓮池町」の記事における「蓮池藩の成立」の解説

蓮池藩歴代藩主 就任備考 1 鍋島直澄 寛永19年 1642年 佐賀藩藩主鍋島勝茂の5男 2 鍋島直之 寛文5年 1665年 先代・直澄の次男 3 鍋島直称 宝永5年 1708年 先代・直之の弟・養子 4 鍋島直恒 享保2年 1717年 先代・直称の次男 5 鍋島直興 寛延3年 1750年 先代・直恒の長男 6 鍋島直寛 宝暦7年 1757年 先代・直興の弟・養子 7 鍋島直温 安永3年 1774年 先代・直寛の長男 8 鍋島直与 文化13年 1816年 佐賀藩鍋島治茂の7男先代・直温の養子 9 鍋島直紀 弘化2年 1845年 先代・直与の長男廃藩置県により知藩事となる 佐賀藩では、佐賀城藩主直茂を中心に周辺諸城に直茂の子や弟をたて、佐賀藩支藩とした。庶長子の元茂は小城藩、弟の鍋島忠茂常広城入って鹿島藩となり、そして5男の鍋島直澄蓮池城入り蓮池藩となった。 これら3つの支藩のうち、蓮池藩の成立は最も遅く寛永16年1639年)とされている。蓮池藩の成立までには紆余曲折があった。 初代藩主鍋島勝茂には、元茂という長男がいた。しかし勝茂が慶長14年1609年)に徳川家康養女菊姫娶ると、菊姫の子鍋島忠直(勝茂の4男)が嫡男みなされるようになった。ところが、2代佐賀藩主に就くと目されていた忠直が、寛永12年1635年)に若くして病死してしまう。忠直長男鍋島光茂はまだ2歳幼少だった。そこで勝茂は、菊姫の子忠直実弟にあたる鍋島直澄(勝茂の5男)を後継者にするため、忠直未亡人恵照院(その父は徳川家康孫・松忠明)と直澄を結婚させた。 しかし目論見反し鍋島家家中からこの相続には異論出た代替案として光茂と直澄で佐賀藩等分することも検討されたがこれも賛同得られなかった。そのため、蓮池城跡に館を再建して直澄を移し分家させて支藩蓮池藩(約5万3000石 )とすることにした。なお、館が完成して実際に鍋島直澄佐賀城三の丸から蓮池城移ったのは承応3年1654年ともされている。 この頃鍋島家内情伝える「蓮池鍋島家文書」(佐賀県立図書館)が伝えられている。島原の乱(1637-1638年)の原城攻めで勝茂が抜け駆けした事情や、蓮池藩となった鍋島直澄が、16歳年下の甥で佐賀本藩の当主となった鍋島光茂朝寝坊諌める内容などが遺されている。 蓮池城周りには城下町発展した。もっとも古くからあったのが蓮池本町江上家種移ってきたときにできたのが蓮池神埼町蓮池城原町である。蓮池城原町には職工集まり商工業者集まった蓮池紺屋町佐賀江に面する船着き場があって集積地がおかれた蓮池魚町佐賀中心部へ向かう街道筋形成され蓮池西小路などによって城下町構成された。

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