鍋島忠直とは? わかりやすく解説

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鍋島忠直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 08:52 UTC 版)

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鍋島忠直
鍋島忠直の墓(高伝寺
時代 江戸時代前期
生誕 慶長18年(1613年
死没 寛永12年1月28日1635年2月20日
改名 翁助(幼名)、忠直
戒名 興国院殿敬英賢崇大居士
墓所 佐賀県佐賀市高伝寺
東京都港区元麻布賢崇寺
官位 従五位下肥前守[1]
肥前佐賀藩世嗣
氏族 鍋島氏
父母 鍋島勝茂菊姫
兄弟 市姫、元茂、鶴、満千代、忠直直澄
宝乗院、直弘、神代常利室、直朝
永春院殿、卿公、鍋島元茂、神代直長、
超誉ら
牟利
光茂、女子
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鍋島 忠直(なべしま ただなお)は、江戸時代前期の肥前国佐賀藩の世嗣。官位従五位下肥前守

略歴

初代藩主・鍋島勝茂の四男として誕生。母は徳川家康の養女(岡部長盛の娘)・菊姫。幼名は翁助。

勝茂の四男であるが、徳川家から迎えた菊姫との間にできた男子であったため、長兄・元茂など3人の兄を差し置いて嫡男として扱われる[2]元和8年(1622年)、徳川秀忠から偏諱の「忠」の字と松平の氏姓を授けられた。[3]この鍋島家の松平姓および将軍の偏諱拝領は、この時以降幕末まで代々継承される[4](一方、の「直」の字は祖父の直茂から取ったものである)。2代藩主の座を約束されていたが、疱瘡にかかり早世する。享年23。法名は興国院殿敬英賢崇大居士。

代わって、忠直の長男・光茂が勝茂から嫡孫継承することとなった。

系譜

脚注

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  1. ^ 寛政重修諸家譜』。
  2. ^ 藤野保編『佐賀藩の総合研究』吉川弘文館、1981年。
  3. ^ 村川浩平「肥前佐賀藩、鍋島氏への松平氏下賜」『駒沢史学』87号、2017年。
  4. ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』、2000年。



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