三上藩とは? わかりやすく解説

三上藩

読み方:ミカミハン(mikamihan)

近江野洲郡三上藩名


三上藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/03 03:44 UTC 版)

三上藩(みかみはん)は、近江国野洲郡三上村(現在の滋賀県野洲市三上)を居所とした。1698年に遠藤家が入って幕末まで続いた。藩庁は三上陣屋であるが[1]、幕末期に遠藤胤統若年寄を務めたことから城主格となっている。

幕末時点で所領は近江国・和泉国安房国に分散して所在していた。版籍奉還後の1870年、藩庁を和泉国吉見に移転し、吉見藩となった。

藩史

大津
水口
三上
関連地図(滋賀県)[注釈 1]

藩主家は遠藤家である。遠藤家は美濃郡上藩2万4000石を領していたが、元禄2年(1689年)に第4代藩主遠藤常春が謎の死を遂げると、これが家臣団を二分する家督騒動に発展した。跡目を相続した遠藤常久も元禄6年(1693年)、7歳で夭逝するに及び、郡上藩遠藤家は無嗣改易となった。しかし藩祖・遠藤慶隆の功績が特に考慮された結果、時の将軍・徳川綱吉は側室・お伝の方の妹と旗本・白須正休の間の長男を、いったん遠藤家の姻戚にあたる美濃大垣新田藩主・戸田氏成の養子としたうえで、これを改めて遠藤家に入れて遠藤胤親と名乗らせ、この胤親に常陸下野で都合1万石を与えた。こうして旧郡上藩遠藤家とはまったく無縁ながらも胤親が大名に取り立てられたことで、遠藤家は形ながらも家名存続を果たした。この胤親が元禄11年(1698年)に近江四郡に移封となり、三上藩が立藩した。

若年寄となった第5代藩主・遠藤胤統は、嘉永5年12月(1853年2月)、江戸城西の丸造営の功績を賞されて2000石の加増を受けた。幕末万延元年(1860年)には城主格に格上げされている。胤統は文久3年(1863年)に隠居し、跡を孫の遠藤胤城が継いだ。胤城は講武所奉行に任じられ、長州征伐などに活躍した。徳川慶喜の代には奏者番に任じられて将軍側近となり、佐幕派としての立場を貫いた。このため、慶応4年(1868年)1月に新政府から朝敵と見なされて領地を召し上げられた。しかし同年5月には罪を許されて領地を戻され、翌年6月に三上藩知事に任じられた。胤城はその後明治3年4月14日1870年7月31日[2]に藩庁を和泉国吉見に移したため、以後は吉見藩と呼ばれることとなった。

歴代藩主

遠藤家

譜代格。1万石→1万2000石。

  1. 遠藤胤親(たねちか)【元禄11年(1698年)3月7日藩主就任 - 享保18年(1733年)9月25日隠居】
  2. 遠藤胤将(たねのぶ)【享保18年9月25日藩主就任 - 明和8年(1771年)4月12日死去】
  3. 遠藤胤忠(たねただ)【明和8年6月4日藩主就任 - 寛政2年(1790年)2月20日隠居】
  4. 遠藤胤富(たねとみ)【寛政2年2月20日藩主就任 - 文化8年(1811年)6月23日隠居】
  5. 遠藤胤統(たねのり)【文化8年6月23日藩主就任 - 文久3年(1863年)9月25日隠居】
  6. 遠藤胤城(たねき)【文久3年9月25日藩主就任 - 明治3年(1870年)4月14日移封】

領地

幕末の領地

国立歴史民俗博物館ウェブサイトの「旧高旧領取調帳データベース」によれば[3]、幕末時点での三上藩領は以下の通り[注釈 2]

  • 安房国(4530石)
    • 平郡のうち - 5村
      • 正木村、亀ヶ原村、下堀村、上堀村、大津村
    • 安房郡のうち - 9村
      • 北条村、(北条村の中)安布里出作、(北条村の中)新宿、(北条村の中)大網出作、(北条村の中)上野原、高井村、古川新田村、八幡村、湊村
  • 和泉国(5000石)
    • 和泉郡のうち - 8村
      • 父鬼村、若樫村、南面利村、善正村、大野村、仏並村、坪井村、大沢村
    • 日根郡のうち - 4村
      • 吉見村、黒田村、新村、波有手村
  • 近江国(4300石)
    • 栗太郡のうち - 3村
      • 西目川村、東目川村、手原村
    • 野洲郡のうち - 2村
      • 三上村、北村
    • 甲賀郡のうち - 3村
      • 朝国村、植村、下磯尾村

幕末の時点で三上藩は定府の大名であり、藩士はみな江戸に在住していた[4]。上方の知行地については近江国三上と和泉国吉見に小規模な陣屋を設けて、「吏胥」のみを配置していた[4]。また、安房国の知行地管理のための陣屋を北条仲町(現在の千葉県館山市北条字仲町、館山警察署付近)に置いた[5]。この北条陣屋は、かつての北条藩の陣屋を利用したものである[5][注釈 3]

旧高旧領取調帳データベースによる幕末期の領地詳細
  • 国立歴史民俗博物館ウェブサイトの「旧高旧領取調帳データベース」より[3]、「旧領名」が「三上藩」「吉見藩領分」であるものを抜粋する。
  • 郡村名の用字等は修正していない。
  • 「石高」欄の数字は、旧高旧領取調帳データベースの「旧高(1)」欄に記載された「江戸時代末期の各村の領主が年貢徴収の基準とした見積生産高」(内高)である[7]。12.345678とある場合、12石3斗4升5合6勺7才8撮を意味する。
  • 「相給」欄は、同村内にある幕府領・大名領・旗本領・寺社領の領主を記す。石高は参考のために付し、石以下は切り捨てている。
  • 「廃藩置県期」欄は、旧高旧領取調帳データベースの「旧県名」欄に記載された県名で、一般的には廃藩置県直後の管轄県名であるが[7]、房総については廃藩置県前の状況が記載されているため、これをそのまま記した。吉見県については省略した。
国郡 石高 現在の地名 相給 廃藩置県期 備考
15766安房国平郡 まさき正木 1612.141968 12205千葉県館山市正木付近 長尾藩
15769安房国平郡 かめがはら亀ヶ原 0868.633972 12205千葉県館山市亀ケ原付近 →長尾藩
15772安房国平郡 しもほり下堀 0138.770493 12464千葉県南房総市下堀付近 →長尾藩
15773安房国平郡 かみほり上堀 0359.024994 12464千葉県南房総市上堀付近 →長尾藩
15925安房国平郡 おおつ大津 0154.257004 12205千葉県南房総市富浦町大津付近 →長尾藩
16028安房国安房郡 ほうじょう北条 1069.358032 12205千葉県館山市北条付近 →長尾藩 北条陣屋所在地
16037安房国安房郡 ほうじょう北条村ノ中
安布里出作
0076.172997 12205千葉県館山市安布里付近 →長尾藩
16037安房国安房郡 ほうじょう北条村ノ中
新宿
0017.697001 12205千葉県館山市新宿付近 →長尾藩
16042安房国安房郡 ほうじょう北条村ノ中
大網出作
0044.910000 12205千葉県館山市大網付近 →長尾藩
16043安房国安房郡 ほうじょう北条村ノ中
上野原
0189.828995 12205千葉県館山市上野原付近 →長尾藩
16080安房国安房郡 たかい高井 0387.106995 12205千葉県館山市高井付近 →長尾藩
16082安房国安房郡 ふるかわしんでん古川新田 0148.942993 12205千葉県館山市高井付近 →長尾藩
16101安房国安房郡 やわた八幡 0005.474000 12205千葉県館山市八幡付近 →長尾藩
16114安房国安房郡 みなと 0246.656006 12205千葉県館山市付近 →長尾藩
65982和泉国和泉郡 ちちおに父鬼村 0135.895004 27219大阪府和泉市父鬼町付近
65992和泉国和泉郡 わかかし若樫村 0334.434998 27219大阪府和泉市若樫町付近
65997和泉国和泉郡 なめり南面利村 0128.934006 27219大阪府和泉市南面利町付近
66000和泉国和泉郡 ぜんしょう善正村 0137.250000 27219大阪府和泉市善正町付近
66033和泉国和泉郡 おおの大野村 0205.035995 27219大阪府和泉市大野町付近
66038和泉国和泉郡 ぶつなみ仏並村 0413.638000 27219大阪府和泉市仏並町付近 堺県
66049和泉国和泉郡 つぼい坪井村 0238.737000 27219大阪府和泉市坪井町付近
66200和泉国和泉郡 おおさわ大沢村 0444.786011 27202大阪府岸和田市大沢町付近
66594和泉国日根郡 よしみ吉見村 0960.320007 27362大阪府泉南郡田尻町吉見付近 吉見陣屋所在地
66623和泉国日根郡 くろだ黒田村 0760.633972 27367大阪府阪南市黒田付近
66640和泉国日根郡 しん新村 0186.813004 27367大阪府阪南市新町付近
66647和泉国日根郡 はうて波有手村 1053.522949 27367大阪府阪南市鳥取付近
69954近江国栗太郡 にしめがわ西目川村 0165.440002 25321滋賀県栗東市目川付近
69955近江国栗太郡 ひがしめがわ東目川村 0433.342010 25321滋賀県栗東市目川付近
69977近江国栗太郡 てばら手原村 0375.484985 25321滋賀県栗東市手原付近
70140近江国野洲郡 みかみ三上村 1343.744995 25343滋賀県野洲市三上付近 三上陣屋所在地
70182近江国野洲郡 きた北村 1019.262024 25343滋賀県野洲市北付近
70333近江国甲賀郡 あさくに朝国村 0382.752991 25362滋賀県湖南市朝国付近
70362近江国甲賀郡 うえ植村 0262.367004 25363滋賀県甲賀市水口町植付近
70519近江国甲賀郡 しもいそお下磯尾村 0317.769043 25366滋賀県甲賀市甲南町磯尾付近

明治初年の変動

慶応4年/明治元年(1868年)、徳川宗家が駿遠両国に移され、駿河田中藩4万石は安房国に移されることとなった(長尾藩)。これにともない、三上藩の安房国内の領地はすべて長尾藩に移され、上総国望陀郡内に替地(新政府により接収された旧旗本領など)が与えられた。

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  2. ^ 同データベースでは和泉・近江の領地を「吉見藩」、安房の領地を「三上藩」で記載する。
  3. ^ なお、長尾藩がのちに北条村に藩庁を置くが、これは幕府の海防陣屋(鶴ケ谷陣屋)を利用したもので、三上藩が用いた陣屋とは別のものである[6]

出典

  1. ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(394ページ)
  2. ^ 竹内理三編「角川日本地名大辞典 25 滋賀県」 1184ページ 藩府県沿革表
  3. ^ a b 旧高旧領取調帳データベースの検索”. 国立歴史民俗博物館. 2026年2月21日閲覧。
  4. ^ a b 「三上藩泉州管轄地ヘ治所建設吉見藩ト改称」, 1/2コマ.
  5. ^ a b 『房総における近世陣屋』, p. 87.
  6. ^ 『房総における近世陣屋』, p. 85.
  7. ^ a b 旧高旧領取調帳データベース データベース概要”. 国立歴史民俗博物館. 2026年2月21日閲覧。
先代
近江国
行政区の変遷
1690年 - 1870年
次代
吉見藩



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