飯野藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 04:23 UTC 版)
飯野藩(いいのはん)は、上総国周淮郡飯野村[注釈 1]の飯野陣屋(現在の千葉県富津市下飯野)を居所とした藩。1648年に保科正貞が加増を受けて大名となったことから成立し、以後保科氏が10代約220年続いて廃藩置県を迎える。存続期間の大部分において石高は2万石[注釈 2]。江戸時代にはそのうち約1万5000石の領地が摂津国や丹波国に所在していた。
注釈
- ^ 飯野村は、江戸時代の史料で「飯野村」として扱われる場合と、「上飯野村」「下飯野村」の2村に分けられて扱われることがある。江戸時代中期以降に「上飯野村」と「下飯野村」に分けられたとされる[1][2][3]。
- ^ 1677年以後。
- ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
- ^ 『寛政譜』によれば猶子[6]。
- ^ 『寛政重修諸家譜』が記すところによれば、正貞が保科家を出たのち、正景は母(上原氏)とともに行方不明になった[7]。正貞が幕府に再出仕した際に、実子の正景の消息がわからなかったために、小出吉英の三男(母の貞松院が保科正直の娘)の正英を養子に迎えて将軍徳川家光への御目見も行った[13]。その後、民間で成長していた正景が名乗り出、保科正之のもとに身を寄せた[7]。正貞が大坂定番になった際、実子である正景のことが知られ、家光の意向として召し出されることとなった[7]。
- ^ 『寛政譜』当時は伊皿子に所在していた[7]。現在は東京都杉並区に所在する[15]。
- ^ 「旧高旧領取調帳」では両総二国4,360石、関西三国1万6,298石。
- ^ 丹波国天田郡については、明治4年(1871年)7月の廃藩置県後に飯野県に属し、11月に豊岡県に統合された地域があることを記す事典がある[37]。
- ^ 「飯野県」を記載するものはない。
- ^ 人見村、冨津村、新井村、西川村、篠部村、川名村。
- ^ 人見村、本郷村、中野村、下湯江村。
- ^ 八幡村、杉谷村
- ^ 原村、大鷲新田村
- ^ 飯野村、二間塚村、前久保村、平井村、大久保村
- ^ 飯野村、二間塚村、前久保村、平井村
出典
- ^ “飯野村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年4月10日閲覧。
- ^ “上飯野村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年4月10日閲覧。
- ^ “下飯野村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年4月10日閲覧。
- ^ a b 川村優. “飯野藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2024年4月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “保科正貞”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2024年4月10日閲覧。
- ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十「保科」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.303。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十「保科」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.304。
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- ^ a b c “飯野陣屋濠跡”. 千葉県教育委員会. 2024年4月10日閲覧。
- ^ a b “市宝探訪(遺跡)”. 富津市. 2024年4月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “飯野藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年4月10日閲覧。
- ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十「保科」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.306。
- ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十「保科」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』pp.304-305。
- ^ “第三章>第四節>市域所領配置の定着>銀山付村の設定と私領の変更”. 宝塚市史 二巻(ADEAC所収). 2024年4月10日閲覧。
- ^ a b c d e “市宝探訪(墓碑)”. 富津市. 2024年4月10日閲覧。
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- ^ “保科正寿”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2024年4月10日閲覧。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十「保科」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.305。
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- ^ “富津市の歴史”. 富津市. 2024年4月10日閲覧。
- ^ 「飯野藩村替代地収納不足高下付ヲ乞フ」, 1/4コマ.
- ^ 「飯野藩村替代地収納不足高下付ヲ乞フ」, 2-3/4コマ.
- ^ a b 「飯野藩村替代地収納不足高下付ヲ乞フ」, 4/4コマ.
- ^ “旧高旧領取調帳データベースの検索”. 国立歴史民俗博物館. 2024年4月10日閲覧。
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- ^ 「飯野藩管地ヲ兵庫大津久美浜三県ニ属シ其代地ヲ交付ス」, 1-2/2コマ.
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- ^ “第一章>第一節>廃藩置県と兵庫県の成立>藩籍奉還と藩知事”. 宝塚市史 三巻(ADEAC所収). 2024年4月10日閲覧。
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- ^ “飯野村(近代)”. 角川日本地名大辞典. 2024年4月10日閲覧。
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- ^ a b c “五千石在”. 日本歴史地名大系. 2024年4月10日閲覧。
- ^ “上佐々木村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年4月10日閲覧。
- ^ “下佐々木村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年4月10日閲覧。
- ^ a b “野間 文”. 20世紀日本人名事典. 2024年4月10日閲覧。
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