黒石藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:45 UTC 版)
弘前藩の支藩に、陸奥国津軽郡黒石(現在の青森県黒石市)に置かれた黒石藩(くろいしはん)がある。黒石藩は本家4代藩主信政が藩主就任時幼少だったため、幕府の指示により叔父の信英(3代藩主・信義の弟)を本藩の後見人とすべく、明暦2年(1656年)に信政が本藩を継ぐと同時に弘前藩より5000石を分知されたのに始まる。黒石津軽家8代となる親足の代に至り、文化6年(1809年)弘前本藩よりさらに6000石の分与があり、1万石の外様大名として柳間に列した。居城は黒石陣屋(黒石城)。 信英は分知の際、賀田・猿賀・青森を希望したが叶えられず、津軽家の為信時代の拠点の一つ、黒石に配されたと伝わる。5000石の内訳は、黒石周辺2000石、平内周辺(現青森県東津軽郡平内町)1000石、弘前藩の飛び領地上野国大舘(現在の群馬県太田市尾島地区など)一帯2000石。 また、歴代当主(政兕以降)は、本家である弘前藩主(上記)からの偏諱を受けている。 幕末の戊辰戦争では本家の弘前藩と行動をともにした。明治4年(1871年)7月、廃藩置県により黒石県となる。同年9月、他県とともに弘前県に合併し、現在の青森県の一部になった。
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