明治期の陸奥国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 05:06 UTC 版)
詳細は「陸奥国 (1869-)」を参照 1869年1月19日(明治元年12月7日)、戊辰戦争に敗けた奥羽越列藩同盟諸藩に対する処分が行われた。同日、陸奥国と出羽国は分割され、陸奥国(むつ)は、陸奥国(りくおう)・陸中国(りくちゅう)・陸前国(りくぜん)・岩代国・磐城国の5国に分割された。陸奥国(りくおう)は、現在の青森県に岩手県西北の二戸郡を加えた範囲となり、結果的に初期の陸奥国(みちのく)から300kmも離れた土地を指すことになった。 分割後の5国 Clip 陸奥国 Clip 陸中国 Clip 陸前国 Clip 岩代国 Clip 磐城国 陸奥国(りくおう)の領域にあった藩は下記のとおりである。 斗南藩 七戸藩(盛岡藩支藩) 弘前藩 黒石藩(弘前藩支藩) 八戸藩 明治政府の地方支配体制は、その後の廃藩置県や鎮台などによって実現されたため、明治元年の陸奥国分割は、政治的にも地域圏・文化圏成立にもほとんど意味を成さなかった。ただし、分割後の国名は、鉄道の駅名や陸前高田市などの地名に利用されている。また、陸奥・陸中・陸前の三国を総称した「三陸」の呼称は三陸海岸を始め現在も定着している。
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